英訳して判る「集団的自衛権」のインチキ臭さ
「right to collective defense」と「right of collective self-difense」
どちらが正しいのでしょうか。どちらが一般的なんでしょうか。
試しに両者をググってみると、検索結果は前者が88,000,000件、後者が5,100,000件。前者の方が10倍以上多いんですわ。
つまり前者の方が一般的って解釈で概ねOKだと思います。
しかも後者は、ざっと流し読みするとなぜか「Japanese」って単語が引っ付いてきます(^^;
これ、どう理解したらいいんでしょうか。
ズバリ、幸田の想像を申し上げます。
1)
頭の良い連中が「right to collective defense(集団的抗弁乃至は集団的防衛の権利)」をあえて「集団的自衛権」と誤訳した。
2)
アタマの悪い我々一般市民は、
「自衛権同様、なんとなく必要不可欠な権利なんだろうなあ」
と誤ったイメージを刷り込まれる。
3)
ここにおいて「right to collective defense」とは全くの別概念(日本オリジナル)が誕生し、その結果「right of collective self-difense」という、いわゆる和製英語が登場(笑)
ニュースの形で海外へ輸出される。
で、Googleさんの検索結果が5,100,000件。
・・・・ということではないでしょうか。
どなたか国際法に詳しい方、判断をお聞かせ下さい。
行政解釈などではなく、学理解釈にて。
よろしくお願いしますm(_ _)m
これ、もし幸田の想像通りだとすれば、恐ろしいことですよ。国家は国民をこうやってダマす、という典型例として後世に残ることでしょう。
ディスカッション
コメント一覧
領土領海領空を守るための軍隊の問題。
他国(同盟国、とされた国)の戦闘への協力。
それらは、別の問題ではないのでしょうか?
別に話し合うべきテーマを同じ次元で話しているから、生じてくる問題では?
古川さん、コメントありがとうございます。
仰る通りだと思います。でもそれを、わざと混同させてるんですよね。
直訳すれば「集団的”自”衛権」ではないんです。
確信犯なんです。
インチキ訳語を当てることによって、「なんとなく自衛権と似たようなもの・・・・」というイメージを刷り込み、法案を通してしまおうという為政者の意図が透けて見えます。
「集団的”自”衛権」ではない。
まさに、そこにこそ! この問題の本質があると思います。
この言葉にも、何処かひっかかりや胡散臭さみたいなものを感じています。
そもそも。
「集団自衛」などどいう言葉はあるのでしょうか?「自衛」とは、まさに自らを守るもの。
一蓮托生で一身一体な間柄で、相手が倒されたら自分の存在が危うくなったとしても。
それは、「(集団)自衛」ではなく、「同盟」、「連合」などといったものでは?
そう。
何故素直に「同盟」、或いは「同盟」の強化、などと言わないのか、ということですよね?
古川さん、いつもコメントありがとうございます。
本来は「集団的抗弁(文句を言う)権」、あるいは「集団的防衛権」と訳すのが、おそらく正しいのです。
古川さんの仰るように、まさに同盟だとか連合といった概念ですよね。
これを「集団的自衛権」と捻じ曲げたということが、和訳→英訳(リバース)によって判明します。
おそらく、「自衛」をかたることによって合憲だと主張したいんでしょうね。
全くの空想上のたとえ話、としてお聴きください。
たとえば。
我が国が現行の憲法を大幅に改正して、国家予算の8~9割を費やす強力な軍隊を持った、とします。
それでも、「わが軍は、我が国の領土領海領空を守る為だけに存在する。そこから外へは一歩も出ないし、
いかなることがあっても他国の軍には協力しない」と、如何なる軍事同盟や派兵要請にも答えない。
・・・たとえ、脅迫されても。
逆にたとえば。
自衛隊を廃止した、とします。
それでも。ミサイルや戦車、戦闘機、核兵器などを製造して「同盟国」に軍事協力することも
可能です。
或いは。日本の若者たちをスカウト、訓練して。傭兵等と言った名目で「同盟国」に送り込むことも。
「自衛」と「同盟国への協力」は、別物、ですね。
長々とコメントさせて頂き、ありがとうございます。
追伸
日本の軍隊が他国の戦地に赴く。
「同盟国」の敵国から攻撃(ミサイル?潜伏した工作員による爆弾テロ、要人誘拐?)される
可能性がある、ということですね。
古川さん、こんにちは。
古川さんご指摘の通りだと思いますよ。
ではどこに問題があるのか。日本国憲法に掲げる平和主義、日本人が教育によって刷り込まれる平和主義がインチキだからだ、と幸田は常々考えます。
まず先に、
「平和主義とはなんぞや?」
という、土台の部分の議論を徹底的にやり、日本人としての平和主義の理念、平和戦略を明確にして掲げるべきだと思うんです。
そうすれば自ずと、古川さんの仰る「自衛とは」だとか「同盟国との協力はどうあるべきか」といった検討課題が明確になります。
個別具体的戦術として、両者を別々に語らざるを得ません。
逆に言えば土台が曖昧だからこそ、議論も混沌としているし、インチキの入り込む余地があるのだと思うんですよね。
憲法前文を是非お読み下さい。
現実から目を背た、他力本願の美麗字句が並び、さながら絵に描いたお花畑のような平和主義です。
「自衛」と「同盟国への協力」を区別して検討すべき、という古川さんのご指摘するレベルにまで至っていないんですよね。
それよりずっと手前の、理念や戦略を明確にするという、土台の部分で足踏みが続いており、戦後70年一歩も前に進めないのです。幸田はそのように分析しています。
昔読んだ憲法、さっき その前文を読んできました。
僕は、文句なしに素晴らしい理念、だと思います。ずっと守り続けてもいい、理念。
ただ。それをいつでも そのまま 唱え続けるだけでは「活きて」こない、もの。
理念とは、ただおおまかな指針を示しているに過ぎないかもしれません。
「前文」を実際に活かすにはどうしたらいいのか、何処を活かして何処を現実に適応させていくのか、
そもそも、我々は それを保ち続けていくべきか・・・。
いや。
それ以前に(幸田様がおっしゃるように)我が国が目指す平和主義とは何か、
どんな平和主義を世界に発信していくのか。-そんなことを、国会などでもっと話しあうべき
であったかも。
「憲法」以前に、それが大切かもしれません。
国でも個人でも。
まずは、自分が何を目指すのか、どんな風に生きたいのか。それをしっかり持つべき
、ですね(実は、僕は今、それを見失いかけています)。
貴重なお話、ありがとうございます。
古川さん、コメントありがとうございます。
もしよかったら、以下の記事もご参照下さい。憲法前文のインチキ臭さについて分析しています。
http://offtime.sohnosuke.com/?p=10022
安倍総理が
我が国の防衛上、同盟国への軍事協力は欠かせない。だから、我が国がしっかり
軍備をできるように先ず、憲法を改正したい。
とだけ言えばいいのでは。彼が、本当にそれが正しいと思うなら。
それを、「集団的〝自〟衛」などと?な言葉を持ち出すのは、総理が何かを隠して
いるのでは? と勘ぐってしまいます。
自衛隊をアメリカの走狗にしたい、のだとか(なぜ?)
彼の唱える「積極的平和主義」は、信じる気になれません。
古川さん、
仰る通りだと思います。胡散臭さ全開ですよね(^^;
ちゃんと正々堂々、日本の平和理念、日本の平和戦略について議論を尽くし、堂々と憲法にそれをうたい、その上でやるべきことをやって欲しいものです。