全くもってデタラメな日本の安全保障 - 前編

2015/08/21

日本は地政学的に見て、極めて厳しい環境にあります。
ですから昔から、国家の安全保障問題に随分と腐心してきました。
 
勿論それは現在でも変わりありません。この国は永久に、そういう宿命を負っているのです。
にも関わらず現在の日本政府の、国家安全保障に対する意識というのは、あまりにもお粗末ではないかと指摘せざるを得ません。
 
そもそも自らの安全保障を、他国に丸投げで大丈夫なのでしょうか。



 
丸投げというより、牛耳られていると言う方が適切ですね。
 
牛耳られているということは、牛耳っている側としてはあくまで自分達の利害でやっていることです。いざという時、自分達が犠牲を払ってまで私達の日本を守ってくれる、ということは本質的にあり得ないわけです。
これは子供でも理解できる論理です。安全保障は徹頭徹尾、自国が責任をもって行うべき、というのが大原則のはずです。
 
最近盛り上がっている安保法制論議において、こういう基本的なところが滅多に語られないのは、一体どういうことでしょうか。
 
論点2つ目。アメリカさんをパートナーとすること、アメリカさんに依存するという安保体制で良いのでしょうか。
 
先日こんな記事を書きました。
歴史を紐解けばすぐに判ることですが、この100年、日本はアメリカさんから、一貫して卑怯な仕打ちを受け続けています。
それをあっさり許して良いのでしょうか。そんな国に依存することが、潔いと言えるのでしょうか。
 
論点3つ目。
そもそも現在のアメリカさんは、何も言わずすんなり依存できるだけの力を備えているのでしょうか。
 
注意深く、あの国の現状を観察して下さい。アメリカさんは既に崩壊寸前です。
たった今、この瞬間、全てが音を立てて崩れ去っても何ら不思議でない程、危険な状況にあります。そんな国に頼ることが、安全だと言えるのでしょうか。
 
論点4つ目。
危機的状況にあるパートナー、アメリカさんが、いよいよ追い込まれてなりふり構わず日本から収奪の度合いを強めれば、日本は再びアメリカさんと敵対せざるを得ません。
当然ながらそういうケースをも想定すべきだと思います。
 
そんな時、自衛隊装備からIT機器にいたるまでことごとく米国製に依存していて、果たして使い物になるのでしょうか。
 
今こそ、こういった根本的な部分から日本の安全保障を考える、チャンスだと幸田は思います。
 
 
中編へ続きます。