縄文人=弥生人。学者先生方は一体いつになったら定説の見直しを行うのか!?

2015/11/12歴史ってすっげ~面白い


 

  • プラントオパール(細胞化石)分析によれば、日本の稲作開始(水稲ではなく陸稲)は何と6,000年前に遡る。(時期的に)弥生人が持ち込んだものではない。
  • 6,000年前の半島は未開の地であり、稲作は半島の影響ではない。コメのDNA鑑定の結果からも、半島の影響は否定される。
  • 縄文晩期以降、渡来人の影響により文化が一変したという証拠が見つからない。
  • 小山修三氏「縄文人口推計」は単純過ぎて意味を成さない。埴原和郎氏「二重構造モデル」も机上の空論。
  • 宝来聡氏「DNA人類進化学」はサンプリングの選択ミスで正解に到らない。
  • 中橋孝博氏「渡来人の人口爆発」は前提からしておかしい。矛盾だらけ。
  • 日本人Y染色体遺伝子は9割が縄文人由来である。
  • 食生活や住環境次第で、人間の骨格は簡単に変化する。
  • 言語学的にみて、日本語の成立は最低でも数千年前。かつ大陸や半島の言語と全くの別系統。渡来系弥生人に置き換わっていながら言語だけ縄文時代成立の日本語を継承したということは、考えにくい。

 
以上の分析から、
「大量の渡来人がやってきて、人口減少していた縄文人を淘汰、混血化が進行し、新たな『弥生人』が誕生した」
という、日本人の常識となっていた従来の定説は、意外にもそもそもが全くの仮説に過ぎず、既に破綻していると言わざるを得ないようです。正しくは、
「縄文人の定住化と農耕が進み、食生活や住環境の変化によって骨格が変化した結果、縄文人が(いわゆる)弥生人へと進化した」
と。縄文人も弥生人も同一だったのです。
 
また、大陸や半島から高度な文化が伝来した、という証拠となるような遺跡、遺物もなく、
「渡来文化に大きな影響を受けた」
という説も大いに疑わしいようです。
 
そして驚くべきことは、それらを裏付ける証拠は10年前20年前、30年前から出続けていることです。
例えば佐賀県菜畑遺跡の発掘によって、稲作の開始が少なくとも3,000年前であることが判明したのは、1980年のことです。この時点で、
「(渡来系)弥生人によって2,300年前頃から新たな時代が始まった」
という説が覆っているわけです。歴史はがらりと書き変わります。
さらには岡山県朝寝鼻貝塚の研究によって6,000年前のプラントオパールが見つかったのは、1999年(新聞発表)。この時点において定説の崩壊は決定的だったはずです。
 
にもかかわらず、未だに定説のアップデート、見直しが為されない。学者先生方は一体、いつになったら「中韓隷属史観」を捨てて、まともな歴史を認めるようになるのでしょうか。
 
今や私達一般市民は、学者先生方の説を鵜呑みにするのではなく、自ら情報収集し、何が正しいのかを判断せざるを得ない時代なのだと痛感します。
古い、誤った説に惑わされ、不利益を被るのは私達自身です。自衛を余儀なくされています。
 

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