野方遺跡を見物 - 前編

2016/08/05

野方遺跡。
10年前、お客様を何度か訪問する際に見かけ、ずっと気になっていたんです。
 
で、ふとそれを思い出して調べたところ、幸田の現住所から意外と近いことが判明し、早速先日チャリを走らせ見物に。・・・・
 

【野方遺跡】
福岡市西区野方
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/21

弥生時代の竪穴式住居

縄文~弥生~古墳時代前期の複合遺跡です。
つまり縄文人は定住していたことが判ります。
 
縄文時代とは、教科書などに描かれているような、
原始的な狩猟・採集経済」
ではないのです。食料が豊富で、敢えて手間暇かけて本格的な農耕を行う必要がなかったのです。
食料を求めて点々と移住する必要もなかった。定住できた。何千年にもわたり定住できたからこそ様々なロスが少なく、じっくりと腰を下ろして文化を熟成させた、と推測できます。
 
それから、古墳前期に環濠が埋められたと判明しているそうです。
魏志倭人伝に記載されている、卑弥呼邪馬台国隆興前の倭国大乱の時期に該当しそうで、少々興味を惹かれます。
つまり邪馬台国論争においては、畿内説の次に北部九州説が有力ですが、しかし北部九州勢力は邪馬台国の時代に衰退が見られると言われています。この野方遺跡の環濠が埋められていたというのは、まさにそれを裏付けています。
 
邪馬台国は北部九州にあったのではない、という有力な材料の1つなのです。
見どころと言えばその程度です。どこにでもありそうな、平凡な遺跡です。ですが、なぜか国史跡
 
国史跡の指定を受けると、お金が下りるんでしょうね。弥生時代の住居跡2つをすっぽり覆う建物が作られ、資料館となっています。
高校生の文化祭レベル(笑)のショボい資料展示がちょろっとあります。
ただし、弥生時代の資料はあれど、縄文時代や古墳時代の資料展示はありません。
 
そんなレベルですから、当然来客なんてほとんどありません。
資料館内は真っ暗。学芸員は常駐していない模様。警備員さんが1人おられて、幸田が入って行くと館内の電源をオンにしてくれました。
 
ゴールデンウィーク5/2の昼過ぎ。
記名を促されたので帳簿を見ると、その日は幸田が初来場だったようです。前日5/1は快晴でしたが、来場者はわずか4人(笑)
そりゃそうでしょ。こんな施設、単なる金の無駄遣いです。
 
国史跡って、どういう基準で決まるのでしょうか。調査研究の予算は、どういう基準で決まるのでしょうか。
こんなところに浪費する金があるのであれば、是非宮崎市の生目古墳1号墳を調査して貰いたいものです(^^; あそこを調査すれば、邪馬台国がみえてきます。
 
・・・・とまあ、余談はともあれ、実際に野方遺跡をながめて感じたこと。
 
住居跡は結構広いです。大学生や新社会人のワンルームマンションよりずっと広い(笑)
各地の遺跡で貧素な竪穴式住居を復元し、学校の教科書にも、
「家族で暮らした」
などと書かれています。いかにも原始的で劣悪な住環境のイメージを刷り込まれます。しかし魏志倭人伝には、
「父母兄弟で、寝所を別にしている」
との記述があるのです(!!)
 
簡素でショボい住居に、家族数人で狭苦しい生活をしていたわけではなさそうです。
親父さんお袋さん2人、兄弟2~3人、姉妹2~3人でそれぞれ別棟なのです。
現在と異なり、十代前半でさっさとカップルが出来上がったことでしょう。彼らは早々に独立し、居を構えたわけです。ですから1住居あたりの居住者数は、せいぜい2人ないし3人程度と推測がつきます。
であれば、決して悪くない住環境だったと言えるのではないでしょうか。
 
というわけで、これまた学者先生方のイメージ捏造ではないかという疑いが湧いてきました(^^;
 
 
・・・・後編へ続きます。