「縄文時代は狩猟経済なので原始的だ」というウソ

2017/03/13インチキ縄文歴史観を粉砕する


 
こんなページを見かけました。
 

【不思議.NET】 2016/09/29
“縄文時代←13000年も何の進歩が無かったのはなぜなのか?”

http://world-fusigi.net/archives/8595136.html

 
皆さんの意見を読んでいてつくづく感じます。私達はインチキ歴史教育に、すっかりダマされているな、と。

いや、幸田も同様です。
歴史教育再建の必要性を痛感し、無謀にも、
「誰もやらないなら私が・・・・」
と改めて勉強を始めたのが2年程前。まずは縄文史を、と片っ端から本を読んでいるうちに、次から次へと学者先生方のインチキ主張に気付くようになっただけの話です。
 
学者先生方にとっては、日本が「長く素晴らしい、誇るべき歴史」を持っていることが許せないようです(^^;
なので縄文史などは特に、あたかも原始時代同然のレベルだった、と貶めたいのでしょう。文化や遺物を真っ当に評価しない。だから私達は総じてダマされています。
 
しかし考古学的成果を丹念に眺めると、そこにはアカデミズムの主張とは全く異なる歴史が見えてきます。
 
 
 

縄文時代は極めて豊かな「食のユートピア」

今日の高度に発達した貨幣経済の裏に、高度な農業技術があります。
それを前提に、
「狩猟経済は原始的だ。農耕経済の方が進歩的だ」
「縄文時代は狩猟経済社会だった。未開だ。(農耕の始まった)弥生時代より劣っている」
と、学校の歴史の授業で習います。
ホントでしょうか。
 
縄文時代は現在より温暖でした。亜熱帯~熱帯気候だったと言われています。
 
食料が豊富でした。果物や木の実が、そこらに幾らでもありました。
川や海に釣り針を垂らしておけば、簡単に魚が釣れました。ちょちょっと川べりや海岸を掘れば、大量の貝が採れました。ちょろっとワナでも仕掛けておけば、小動物が採れました。
 
なぜ、食料が豊富だったと言えるのでしょうか。
 
理由は簡単です。日本では縄文時代から、ひとところに集落を作って何千年も定住しているからです。
世界の常識では、狩猟経済社会と言えば食料を求めてあちこちに転々と移住するのが当たり前です。しかし日本の場合、そうではなかった。これは、
「食料に恵まれていたため、移住する必要がなかった」
という確固たる証拠です。
 
加えて、縄文時代は戦争がなかったと言われています。
数千体も出土している縄文人骨に、戦闘による負傷の痕跡がないそうです。
戦争とは、
「経済的な困窮や欲から、他者の富を奪うために起きる」
という「歴史の法則」があります。つまり、
「戦争がなかったということは、経済的に皆豊かだった」
と言えるわけです。
 
 
 

食っていけるのに敢えて田んぼや畑を耕す必要があるのか?

ちょっと想像してみて下さい。
今日私達は、朝早くから満員電車やバスに長時間揺られて出勤し、遅くまで必死で働いて、わずかなサラリーを受け取ります(^^;
なぜ、苦労して働くのでしょうか。食っていくため、ですよね。
 
では、もし縄文時代のように、ほとんど何もしなくても食料が豊富に手に入るとすれば、どうでしょうか。
 
私達は日頃、近所のコンビニやスーパーへ食料を買いに行きます。それと大差ない労力で、しかもタダで(笑)食料が手に入るとすれば、アナタはそれでもわざわざ毎日職場に出勤しますか?
或いは苦労して田んぼや畑を耕さずとも、いつでも好きなだけ食料が簡単に手に入るのに、わざわざ手間暇かかる農業をやりますか?
 
田んぼや畑を耕す必要がなかった。働いて金を稼ぐ必要がなかった。
極めて豊かな「食のユートピア」 それこそが縄文時代なのです。だから農耕経済も貨幣経済も不要だったに過ぎません。
 
それを単純に「劣った時代」「原始的な時代」と言えるでしょうか。
今日だって、もし豊かな自然の恵みによって簡単に腹が満たされるのであれば、田んぼなんて耕す人はいないでしょう。働いて金を稼ぐにしても、最低限最小限で済ませる筈です。
 
「縄文時代は狩猟経済だった、原始的だ」
という歴史観は、学者先生方が日本の古い歴史を貶める「手法」に過ぎないのです。
 
 
続編では、「農業」という視点から、もう少し掘り下げて考えていきたいと思います。
 

PVアクセスランキング にほんブログ村