「飛鳥仏教文化」というインチキ歴史観を暴く!! -「仏教公伝」という大ウソ

 
前編より続きます。
 
 

「仏教公伝」という大ウソ

私達は学校で「仏教公伝」という歴史語句を習いました。
幸田はここで断言します。この「仏教公伝」という概念自体が、実は大いなるインチキなのです(笑)
 
では「仏教公伝」とは、何でしょうか。
実は当時、百済の聖明王が半島において軍事的苦境にあり、何とか日本に助けてもらおうと貢物を贈ってきたに過ぎないのです。
 
その貢物が仏像1体、幡、経典だったため、これを今日、日本のアカデミズムが勝手に「仏教公伝」と嘯いているだけです(!!)
ちなみに従来は、単に「仏教伝来」と呼称していました。本来そちらが正しいわけです。

単なる「伝来」、いや「貢物を受け取った」に過ぎないからこそ、この件に関する記紀の記述が曖昧なのです。記紀それぞれで年代記述が異なります。
当時の人々が、
「属国百済の王が、ある時貢物を贈ってきた」
という程度の認識しかなく、記憶がいい加減なわけです。これこそが「公伝」などという厳かなものでなかったという、確たる証拠です。
 
 
 

こうして「インチキ歴史観」が刷り込まれた

そもそも宗教とは、国家が管理するものではありません。
布教者が勝手に、経典を携えて渡来し、どこからかお叱りを受けない限り自由に布教活動を行って信者を増やすものです。
そうですよね!?
 
ですから実際日本において、いわゆる「公伝」よりも早い時期から仏教が浸透しています。つまり歴史的意義を考えても、「公伝もクソもない」のです(笑)
 
これこそが「仏教公伝」の真実です。
アカデミズムが勝手に「公伝」と名付けて価値を捏造し、
「これによって、日本に大いなる『智』が伝わった。そのお陰で高度な仏教文化が花開いた。未開国日本もワンランクアップした」
というインチキ歴史観をでっち上げたわけです。
 
さらにはそれを高校生に、
「ここは重要だからな!!」
とわざわざ年代まで併せて暗記させ、インチキ歴史観を強烈に刷り込んでいるのです。
 
 
 

「古代の外交史」はインチキだらけ

まとめます。飛鳥仏教文化は、半島の影響などほとんど受けていません。
決定的な事実を指摘します。半島は古代より日韓併合まで、一貫して文化的後進地帯なのです。むしろ日本の側が、技術や文化を伝えているのです。
 
そうそう。
「渡来系の技術者集団を『部の民』と呼び尊重した」
と習いますが、これも半分インチキです。
 
確かに一部、高度な技術者集団がいました。中東出自の秦氏などです。「錦織部」が正にそうでしょう。
しかし半島人の多くは、いわゆる下級技術職人です。「韓鍛冶部」や「鞍作部」等、いわゆる3K作業の従事者に過ぎません。アカデミズムが描く「部の民=ハイテク職能集団」イメージは大いなる捏造なのです。
 
飛鳥仏教文化は、強いて言えば大陸の影響を受けています。
それらが日本に伝わり、独自の高度な細工技術や建築技術をベースにもっと洗練させ、そしてオリジナルを越えていった。これこそが今も変わらない、日本文化の特徴なのです。
 
だからこそ大陸の各王朝は、表面的には中華思想に則り尊大な態度を示しつつも、内心は日本に一目おいていたわけです。フビライの登場まで千年以上、日本を実質的支配下に置こうなどとは夢にも思わなかったわけです。
 
 
 

なぜアカデミズムは自国の古代史を貶める?

今回は飛鳥時代のみを取り上げて、教科書によるインチキ歴史観のカラクリを公開しました。
では何故、アカデミズムはこのように自国の歴史を貶めるのでしょうか。
 
その理由は、先の戦争の「敗戦」にあります。
年末にリリースした幸田の新刊で、詳しく説明しています。飛鳥時代以外の歴史観捏造についても取り上げています。
少しでも多くの方々にお読み頂ければと願っています。