氷解!! 魏志倭人伝の謎 - 女王国は宮崎平野!!

2017/03/11

その3より続きます。
 
 

邪馬台国は宮崎平野だ!!

さて、地図③の邪馬台国は、起点①の伊都国から「南へ水行10日、陸行1月」です。
「南へ水行10日」は、有明海を岸伝いに南下、でほぼ間違いないでしょう。そして天草を抜け、おそらく現在の熊本県八代市辺りに上陸したと思われます。
 
続く「陸行1月」というのは、上陸地点八代市付近から人吉市~宮崎県えびの市~小林市~宮崎平野という霧島連峰越えのルートを辿ったのでしょう。現在そのルートを九州自動車道~宮崎自動車道が通っています。

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魏志倭人伝の記述は意外と正確だった

行程に関する幸田の解釈を述べます。

  • 「陸行1月」に方角が明記されていないのは、延々1ヶ月も山間部を歩くため、あまり太陽が見えない。つまり方角を確認し辛かった。
  • 狗邪韓国(現在の韓国釜山付近)から邪馬台国へ向かうとすると、これが(敵対している狗奴国をわずかに避けつつ)ほぼ最短ルートとなる。
  • 帯方郡(現在の韓国ソウル付近)から狗邪韓国を経由し、全行程で1万2千余里とある。帯方郡~狗邪韓国が海路7,000里。狗邪韓国~邪馬台国が差し引き5,000里だが、このルートなら概ね5,000里である。

如何でしょうか。
国内起点①の伊都国の比定地を誤りさえしなければ、実に合理的に説明がつくのです。方角も距離も。・・・・
畿内説などお呼びではありません(笑)
 
また北部九州説も明らかに誤りでしょう。
伊都国(佐賀平野)から遠かったからこそ、何里と表記出来ず、何日という表記なのです。遠かったからこそ、邪馬台国は伊都国に「遠国統治の要として」一大率を置いたわけです。
 
 
 

女王国以北と狗奴国

「南に水行10日、陸行1月」の記述だけでは、
「邪馬台国は宮崎だ!!」
と主張するには根拠不足です。この点、その5で詳述します。
 
さて魏志倭人伝には、「女王国以北」の国々として、20ヶ国の名前を列挙しています。
これはおそらく、宮崎平野から北側の国々だと思われます。
陸路宮崎県延岡市付近へ行き、そこから海路大分を回るか、陸路高千穂~南阿蘇~熊本県小国町~日田市の山越えルートを通ると、筑後平野即ち奴国に戻れるわけです。
 
そして奴国の南に、女王国と敵対する「狗奴国」がある、と記述されています。
地図をご覧下さい。広大な熊本平野があります。狗奴国比定地として最適でしょう。
 
この地は、既に述べましたが少々異質な遺跡が点在します。古代シュメール文字の刻まれたペトログラフが点在します。また古墳の石室も異様です。
それから築造年代不明ですが「トンカラリン」という謎の遺跡もあります。
 
倭人ならぬ別民族による国が存在したのではないか、という可能性すら感じます。だからこそ女王国と敵対していたのではないでしょうか。
 
 
その5へ続きます。