「卑弥呼様が降臨してアレの証拠隠滅を頼まれちゃった~」を書き終え只今充電期間中

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“卑弥呼様が降臨してアレの証拠隠滅を頼まれちゃった~”

https://ncode.syosetu.com/n7994em/

 
最近、某大手フリー小説サイトに、自作のへぼ小説をアップしています。
先日長編2作目を書き終えました。古代史に興味のある方にお読み頂けると嬉しいです。
「邪馬台国宮崎説」を小説仕立てにして論じています。

 
 

「文学」ではなく「文芸」

幸田は「文学」という言葉が嫌いです。
 
インチキ概念だと思うんですよ。
所詮「文芸」に過ぎないモノに、「学」という文字を充てる。そしてあたかも、
「学問的価値の高いモノ」
と殊更祭り上げ、作家ご本人以外の人がワラワラと群がって飯のタネにする。
 
いや、それを全否定する気はありませんよ。
作家が新たな価値創造を行い、それを盛り上げる人がいる。中にはその価値について学問的研究を行う人も現れる。――
悪い構図だとは思いません。
 
しかし「文芸」という、
「本質として『エンターテインメント』に過ぎないモノ」
を「文学」と嘯き価値を釣り上げ、それらを研究すると称して公費を貪る……という構図に対しては、1アマチュア作家として疑問を抱きます。
現代社会のインチキ構図の一面を垣間見る気がします。
 
長編2作目のアマチュアへぼ作家の癖に生意気言うようですが、幸田はそこに、改めてメスを入れたいと思っています。
 
小説とは何か。その本質たるエンターテインメントとは何か。――
そういうテーマを掲げ、「文芸」を見直し追求してみたいと考えています。
その過程で「平成言文一致運動」という新風を起こせたら面白いな……などと大それたことを考えています(^^;
 
前掲の、幸田のへぼ小説は、そう意識しつつ書いています。ご一笑下さい。
 
 
 

クォリティはどこへ行った!?

1作書き上げ、1ヶ月程休養&勉強&次作構想を練る期間に充てるつもりです。
なので連載中手付かずだった事をやっています。
つまり、他の書き手の方々の作品に目を通しています。評価ランキング上位の作品を、片っ端から乱読しています。
 
色々、気になりますね。
確かに、たまにスゴい作品も見かけます。プロと呼ぶに相応しいレベルの作品もあり、中には書籍化され商業ベースに乗っているケースもあるようです。
 
その一方で、率直に申し上げてクォリティの低い作品が、あまりにも目立ちます。
用語のチョイスや表現が誤っているどころか、テニオハさえあやふやな作品が多過ぎます。
能動/受動がゴチャゴチャだったり、尊敬語と謙譲語がムチャクチャだったり。……
 
いや、アマチュア小説サイトなので、大いに結構なんですよ。
でもそれが、評価上位にランクインするのは、どういう事でしょうか。
 
原因のひとつは、作品評価の仕組みが意図通り機能していない……のではないかと想像します。
もうひとつは、評価する読み手側の国語力にも問題があるのではないでしょうか。
 
書き手、読み手双方の国語力が不十分。――
決して軽視してはいけない問題だと思います。
 
 
 

方向性の正常化

しかしながら、そういったクォリティの低い作品が評価ランキング上位を占める理由は、何でしょうか。
勿論、
「ストーリーが面白い」
或いは、
「登場人物に魅力がある」
といった、いわゆる「エンターテインメント性の高さ」にあると思われます。
 
幸田は「文芸」の本質を「エンターテインメント」と捉えています。
だとすれば、文芸作品としての基礎的クォリティがどうであれ、エンターテインメント性が高ければ当然にして評価を集めるわけです。実に自然で、何の矛盾もありません。
 
つまりこの傾向は、
「『文芸』を『文学』と嘯き、いびつに進化したここ百年の方向性が、正常化しつつある」
ということではないかと想像します。
良い傾向なのではないか、と幸田は考えます。