卑弥呼邪馬台国について考える前に……

2018/10/23

この記事は、新たな邪馬台国論を小説仕立てにした拙著「卑弥呼様が降臨してアレの証拠隠滅を頼まれちゃった~」の、補足解説です。
 
小説としての制約から、解説不十分の箇所も多々存在します。
当記事はそれらを補うために執筆しております。
 

【解説のターゲット】
第二章、


 本作品の当該箇所を読まれた時、
「なんのこっちゃ~!? 意味がわからん」
 と感じた方が多数おられた……と思います。
 
 実は、現代の学校教育ってムチャクチャなのです。日本史教育など、まさにその典型です。
 何故か。
 これは一九四五年、日本が大東亜戦争(太平洋戦争という呼称もまた、一種のインチキです)に敗れたからです。
 
 
 

米国にとって長年「目の上のコブ」だった日本

 米国はそれよりざっと百年前(一八五三年)、ペリー提督に大統領の国書を持たせて日本に黒船を派遣した時点で、既に日本を虎視眈々と狙っていました。
 清国における、アヘン戦争以降の利権争いが上手くいかず、
「それなら次のターゲットは、黄金の国ジパングだ。他国に先んじて日本を制する」
 と意気込み、軍艦(黒船)四隻を江戸に派遣したわけです。
 しかしその直後より、米国内で南北戦争が始まってしまい、彼らは再び極東利権争いのチャンスを失います。
 
 そのうち日本が開国し、着々と力を付け始めます。そしてついには大国ロシアに勝利します。
 時のセオドア・ルーズベルト大統領は、出遅れを挽回するとばかり、
「日本の肩を持てば、その後の大陸利権獲得に有利に働くだろう」
 という下心から、ポーツマス条約を仲介し日本を助けます。しかし日露戦後、小村寿太郎によって「桂・ハリマン協定」を潰され、またもや大陸進出の足掛かりを失います。
 
 なので、以後一貫して日本を逆恨みし続けます。米国にとって、日本とは「目の上のコブ」でした。
 ずっと国際外交の場において日本を叩き続け、あるいは挑発し、その度に日本は何度も米国に煮え湯を飲まされます。ワシントン海軍軍縮条約などが正にそれです。そして米国は一九四一年、とうとう対米開戦に踏み切らせることに成功します(相手をさんざん挑発し、相手に先に手を出させて開戦口実を得るというのは、米国の常套手段ですね)
 
 
 

米国の悲願達成

 一九四五年八月の、日本のポツダム宣言受諾は、米国が約百年に及ぶ悲願を達成した瞬間でした。
 この日のために米国は、それより半年ばかし前から幾度となく、日本側の停戦交渉のチャンネルを潰し、日本に停戦を促すためと嘯いて大量破壊兵器「原発」を投下し、さらにはソ連に対日参戦を促しました。
 
 日本はあくまで、ポツダム宣言を受諾し停戦、陸海(+空)軍を武装解除するという意図でした。しかし米国はなし崩しに、日本降伏=敗戦にすり替えました。
 そして進駐軍ならぬ「占領軍」とGHQを、日本に送り込みました。
 
 戦後日本とは、そのような米国の真意や歴史的背景を知らなければ、その本質が解りません。
 逆に本質を理解すれば、敗戦直後から現在に至るまで、米国は日本に対し、
「悲願を実現し続けているのだ」
 という事実が見えてくる筈です。
 
 
 

占領政策

 マッカーサーGHQの役割とは、
「日本を二度と、米国及び白人諸国に歯向かわないよう、徹底的に叩き潰すこと」
 でした。
「そのために、戦前に日本が欧米諸国から奪った、東南アジアの植民地以下のレベルにまで貶める」
 というものでした。
 
 占領政策を成功させるためにも、GHQは日本国民に対し、
「(米国を含む)連合国は善、日本国民の救世主」
 とし、
「天皇をはじめとする大日本帝国政府は悪」
 というイメージを刷り込む必要がありました。これこそがサブタイトルでもある、
「War Guilt Information Program(戦争犯罪宣伝プログラム)」
 です。