諸悪の根源は「敗戦後の日本の諸システム」 ー 古代日本の先進的社会思想に学ぶ

著作関連, 2019新型コロナウイルス

 
 
まあ色々と酷いニュース飛び込んできます。
どうやら安倍政権が、ネット対策として世論の沈静化を図り、みっともない対応をしたところあっさりバレてしまったり。
結果、Google検索のキーワードトップに「安倍 無能」……(笑)
 
専門家がいまだに、
「新型コロナウィルス対策は、通常のインフル対策と同じでOK」
なんて言っていたり……(苦笑)

諸々ツッコミたいネタはありますが、当ブログのコンセプトはなにも「彼らを誹謗中傷する事」ではありません。
崩壊の一途を辿る我が国の「世直し」「再建」への提言こそが、主たる目的です。
 
そこに立ち返って書きますと、要するに諸悪の根源は、敗戦後の日本の諸システムなんです。システム自体がダメなんです。全てはそこに行き着くわけです。
 
例えば私達は、ここ数十年の経験から、
「どうせ政治なんて、誰がやっても一緒だ。我々一般市民がわざわざ投票所に赴いて一票を投じても、何も変わらない」
と諦めています。悟りきってしまっています。
 
これはつまりシステム……社会の諸制度がそもそもダメなんですよ。
 
お隣の某大国を見れば、よく解るのではないでしょうか。
誰が大統領になろうと、それなりに国内政治が上手いこと回っていますし、国際社会に影響力を及ぼしています。
これぞまさに、諸システムの完成度の差だと幸田は考えます。
 
その証拠に今回の新型コロナウィルス騒動を見ても、我が国の政権や国会、省庁その他諸専門機関……全てが機能不全に陥っている状況が見て取れますよね。
 
ズバリ、指摘します。
「現代日本は法治主義という、未成熟不完全な西洋型社会思想に基づいて構築された。そもそもそこに問題がある」
……と。
諸システムがダメダメなのは、全てそこに端を発しています。
 
なぜ、そう言い切れるのか。それは歴史を勉強して下さい。
一番良い見本は江戸時代です。
江戸時代と言えば私達は、教科書で習った「慶安の御触書」「老中田沼意次の腐敗政治」、そしてテレビの時代劇の影響で、「悪代官や悪徳商人の蔓延る酷い時代だった」……と思っています。
子供の頃からそういうネガティブイメージを刷り込まれています。
 
いえいえ。実はそれ、大間違いです。
実際は武家を中心に、朱子学(儒学)に基づく高いモラルに裏打ちされた、極めて高度なモラル社会だったのです。
悪どい事をして世間にバレようものなら即、腹を切って世間に詫びざるを得ない時代だったのです。
「お天道様に顔向け出来ないような行為」
を恥とみなし、自ら慎むというモラル社会でした。現代日本なんぞよりもずっとクリーンです。
 
だから260年も、徳川政権が持続したのです。
決して、徳川幕府の保身を目的として社会システムが構築されたからではありませんよ。
そんなもの、古今東西のどの政権だって大なり小なりそうです。しかし保身を目的としたシステムデザインだけでは、260年もの政権維持は不可能なのです。私利私欲に基づく政権運営は、結局のところ長く続かず破綻しています。これぞまさに、歴史の法則です。
 
徳川幕府はそうでなかったからこそ、被支配階層から「お上」と崇められ、長く平和な時代が続いたわけですよ。
学校の歴史教育においては、本来そういうところを教えないといけないんですね。
 
我が国には、長く栄えある歴史に育まれた、高度で先進的な社会思想が存在しました。徳川家康はそこに着目し、その我が国の資産ともいうべき社会思想に基づいて、高度なモラル社会を築いたのです。
それこそが260年という江戸時代の歴史なのです。
 
それを知った上で、現代法治主義を学ぶと、法治主義がいかに未熟、不完全であるかが解ります。

  • 法に反しない限り、何をやっても自由。
  • 法とは、それを知り上手く利用することによって利益を得るための、手段に過ぎない。
  • 権力者にいたっては、その法そのものを恣意的に変更、運用可能。

それが法治主義の本質です。ですから法治主義だけで、世の中うまくいく筈がないんです。政治家や官僚、財界や各分野の専門家が私的利益を追求出来る、アヤシい社会システムを構築出来てしまうんです。
 
勿論、法治主義が「百害あって一利なし」とは言いません。法治主義にも長所は当然あります。
ですがそれだけではダメなんです。「法治主義+モラルの両輪構造」でなければならないのです。両輪バランスよく揃って、はじめてまともに機能するのです。
 
そういう社会思想に基づいた、諸システムが構築されていなければならないんですね。
しかし敗戦後の日本社会は、そうではありません。
いや、世界中の先進国も同様です。ただ、我が国は70年前の敗戦の影響もあり、それが他国以上に酷いのです。
だから政治家が公然と私的利益を追求出来たり、その癖彼らや官僚達をリコールさえ出来なかったり……と問題だらけなのです。
 
現代型先進国社会思想は、実は日本古来の社会思想より一段階遅れています。日本古来の社会思想のほうが、先進的なのです。
しかし敗戦後の日本人は、GHQとその片棒を担ぐ歴史学者達によって、それを失わしめられました。我が国の資産たる先人の叡智に、目隠しが施されてしまいました。
 
今や崩壊寸前の我が国を立て直すためには、それを改めて見直すべきだと幸田は考えます。
では、その「日本古来の先進的社会思想」とは、どのようなものだったのでしょうか。
拙著にてそれを解説しています。少しでも多くの方々にお読み頂きたいと思います。
 
また、日本や日本人について知りたい、という外国の方々がおられたら、是非英語版をご紹介頂きたいと思います。
 
 

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