2016/09/22国際社会と「日本人の矜持」, 歴史ってすっげ~面白い

前編より続きます。
 
 

日本は一貫して「防衛側」である

日本は幕末以来、
「欧米列強の帝国主義から東アジアを如何にして防衛するか」
という課題を掲げて、富国強兵、殖産興業に力を注いできました。
 
敢えて繰り返しますが、あくまで「防衛」なのです。
日本は地政学上、単独での防衛が困難です。ですから清、朝鮮と連携し東アジアを守ろうと考えました(それが叶わなかったのは皆さんご存知の通りですね)

歴史ってすっげ~面白い, 毒舌企画!! 「常識のウソ」

1994年のコメ不足

大学受験に何度も失敗し浪人の長かった幸田は、1993年にようやくFラン大学呆学部に入学しました(恥)
 
南九州大水害の年でした。鹿児島のJR竜ヶ水駅が大雨による土砂災害で流され、鹿児島市が水没(^^; 毎日電車が停まって、通学に難渋しました。
「規定雨量を超えましたので、電車が停止します」
と、野生ザルが出没するような深い山中の信号所で、電車が2時間も停まるのです。エアコンも止まり、サウナ状態の電車内で呆然。
 
そんな日々が続き、
「ただでさえ通学に4時間以上要するのに、それ以上のロスに耐えられるか~っ!! 心身共に限界だ!!」
と、親父を説得し大学近辺で1人暮らし開始。

歴史ってすっげ~面白い, 国際社会と「日本人の矜持」

天皇および天皇制を批判、否定する人はたくさんいますが、では天皇とは一体何か。どのような存在、どのような役目を担っているのか。
それを全く知らないまま、批判、否定するというのは、いかがなものでしょうか。
 
皆さんは天皇の役割をご存知でしょうか。天皇制とは何か、ご存知でしょうか。
簡単に解説します。

2016/08/20歴史ってすっげ~面白い, 国際社会と「日本人の矜持」

【zakzak】 2017/07/01
“尖閣すでに戦争状態 中国機「攻撃動作」6月に複数回 空自機を正面から威嚇”

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20160701/plt1607011140002-n1.htm

 
今日の日本を取り巻く国際情勢を見ると、正に日露戦争後~大東亜戦争の頃とそっくりではないか、と痛感させられます。
いつか来た道、というヤツです。

2016/06/14歴史ってすっげ~面白い

前編より続きます。
福岡市西区の野方遺跡(縄文~弥生~古墳時代前期の複合遺跡)の、弥生時代住居跡を見て感じたこと。
 

  • 古代日本人は、数千年にわたり定住生活をおくっていた。
  • 定住なので、今日で言うテントのような、簡素、簡易住居である必要がない。むしろ長期間使えるような、しっかりした住居を建築したのでは?
  • 住居跡の広さ、柱穴の位置や数から想像するに、天井は結構高い。各地の遺跡で見かけるような、小ぶりで貧素な竪穴式住居の上モノはホントなのか?
  • 父母兄弟でそれぞれ別棟に住むなら、広さも充分ではないか。

 
そうそう。彼らの住居を、なぜ竪穴式住居と呼ぶのか。幸田は以前から気になっていました。
 
調べてみると、要するに地面の部分が他国に見られる竪穴式住居と全く同じ構造なので、「日本の住居跡も同じタイプだろう」という判断なのだそうです。
ただ他国の住居跡と若干異なり、日本の住居跡の場合(北海道の縄文時代住居を除き)それほど深く掘っていないため、「竪穴」という呼称に違和感があったのだと判明。便宜上、他国の名称に合わせただけですよ、と。・・・・
なるほど。
 
しかし、それで解決と認識して良いのでしょうか。幸田はもう1つ、気になっていることがあります。
即ち、
「竪穴式住居で寝起きしていて、もし雨が降ったらどうなるのか」
と・・・・(^^;
 
住居の周囲にが掘ってあるわけでも、逆に土手が築かれているわけでもありません。
ですからちょっとした雨が降っても、途端に住居内が水浸しになりそうな気がするんですよね。
 
わざわざ床を掘り込んであるのだから、当然水が溜まります。屋根や壁で覆われていたら、簡単には水がはけない筈です。
いやそれ以前に、そもそもが高温多湿の環境だから、地中の湿気だって上がってきて住居内に充満する筈ですよね。しかも冬になれば、(温暖な縄文時代ならともかく)弥生時代なら床が凍結しそうなものです。
そんな住居でまともに生活できるのでしょうか。
 
つまり、他国と同様の、いわゆる世界標準の竪穴式住居だったのか?、という疑問が残るのです。
高温多湿でそこそこ雨の多い日本で、他国と同じコンセプト、同じ建築方法で住居を造っただろうか、と。・・・・
 

  • なぜ、浅いとはいえ竪穴を掘ったのか。雨の流入や湿気対策はどうしていたのか?
  • 周囲に排水用の溝が掘られていれば、雨の流入はある程度防げると思うが、そういう痕跡はない。なぜか?
  • あるいは住居周囲に土手でも築けば、雨の流入はある程度防げると思うが、そういう痕跡もない。なぜか?
  • 床面にワラでも敷き詰め、こまめに入れ替えれば雨や湿気対策は可能。しかし本格的な農耕が始まる弥生時代以前に、充分な量のワラが確保できたとは思えない
  • この問題が解決しない限り、古代日本の竪穴式住居は住まいとして成り立たない。旧石器時代の洞穴住まいより、劣悪な住環境と言うべきではないか?

 
素直に考えれば、床は「掘る」のではなくむしろ「盛土」して地面高より高くすべきなのです。
しかしそうなっていないということは、つまり今日の住宅同様、床板を地面より少し上に張り渡すなどの、技術的な解決策があったと考えるべきではないでしょうか。
 
幸田なりの、結論。
世界標準の竪穴式住居そのままでは、日本の環境だと通用しないのです。
縄文時代以来数千年もの間、雨が降る度不便、不快な思いをしつつ何の工夫もしないまま、ひとところに定住していたとは考えにくいのです。世界標準の竪穴式住居をベースに、何らかの独自の工夫を凝らしていた筈なのです。
縄文人弥生人は、学者先生方が考える以上に高度な建築技術を持ち、今日私達が抱いているイメージ以上に快適な生活をおくっていた筈なのです。
 
そう考える方が自然だ、と幸田は思うのです。例えば床面にウッドデッキのような物を構築していた、とか。
しかし仮にそうだとしても、木材は今日朽ち果てて完全に消失しますから、発掘調査ではそれが判明しないだけではないでしょうか。
 
古代日本は1万年以上にわたり、食に恵まれ争いのほとんど存在しない「ユートピア」でした。
教科書には全く書かれていませんが、古代日本人はそんな中、極めて高度な文化を発展させてきました
 
世界で一番早く、磨製石器を考案しました。
世界で一番早く、土器を発明しました。土器に食糧を詰め、遠方へ旅することが可能となりました。
交易を行い遠方から黒曜石を手に入れて、鉄製品よりも切れ味の鋭い刃物を作り使用していました。
世界的に見てもかなり早い時期から、果実酒を作り、漆器を作り、織物技術を磨いてきました。
 
そんな古代日本人が、数千年もの間、小ぶりで貧素な竪穴式住居しか作れなかった、ずっと不便不快な生活に甘んじていた、と学者先生方は曰うのです。劣悪な住環境に家族で生活していた、と。・・・・
 
そりゃ変だ、と思いませんか!?
実際に住居跡を眺めつつ、幸田はますますそういう思いを強くしました。

2016/08/05歴史ってすっげ~面白い

野方遺跡。
10年前、お客様を何度か訪問する際に見かけ、ずっと気になっていたんです。
 
で、ふとそれを思い出して調べたところ、幸田の現住所から意外と近いことが判明し、早速先日チャリを走らせ見物に。・・・・
 

【野方遺跡】
福岡市西区野方
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/21

弥生時代の竪穴式住居

2016/02/26歴史ってすっげ~面白い, 毒舌企画!! 「常識のウソ」

学校では江戸時代を、
「将軍様やお殿様が庶民を支配する、個人の自由を大きく制限された暗黒の時代だった」
というイメージで習いました。
「年貢は五公五民から六公四民。武家階級に庶民が支配され苦しんだ」
と。
 
おまけに毎週のように時代劇で、悪代官が悪徳商人とつるんで病気のお父っつぁんと可愛い娘を苦しめるので(笑)、江戸時代のイメージ悪化に拍車がかかります。
しかし本当のところはどうなのでしょうか?

だからこそ「憲法改正」, 歴史ってすっげ~面白い


 
現在、古代史の本の原稿を書いています。
様々な資料に目を通しているうち、たまたま「漢委奴国王」金印の写真が目に止まりました。
 
子供の頃を思い出します。学校では、
「漢の倭の奴国の王」
という解釈を習いました。
或いは、
「漢の委奴(イト)国の王」
という説もある、と。・・・・
 
今頃気付きました。「漢の倭の奴国の王」という、歴史教科書におけるスタンダードな解釈は、明らかに「歴史の意図的歪曲」ですよね(^^;
なぜなら「倭」じゃなくて「委」ですから。「にんべん」が抜けてますって(笑)

2015/11/12歴史ってすっげ~面白い


 
西都原古墳群(宮崎県佐土原市)の敷地内に、西都原考古博物館という施設があります。
幸田のお気に入りのスポットで、宮崎に住んでいる時は年に何度か足を運びます。訪れる都度、常に何らかの新しい「気付き」があります。
 
ある日、ふと考えたこと。
「よし、今日は縄文人と弥生人の頭骨を、ひと目で見分けられるようになっておこう(笑)」
ガキんちょの頃ご幼少の折、学校の教科書だか参考書だかで見た、縄文人と弥生人の頭骨の写真は、両者の違いがハッキリしていました。
なので実物を見れば一発だろう、と思ったのです。
 
広い展示室内には、幾つもの頭骨があります。
1つ1つ、眺めつつ驚きました。う~む、両者の違いが全然分からない(大汗)

政治・経済, 歴史ってすっげ~面白い


 
先日、こんな記事を書きました。
江戸時代の税負担は、意外と低いことがわかります。
 
階級社会ではありますが、被支配階級から強引に収奪するというものではありませんでした。
天皇皇族や将軍と言えども案外質素で、武家も公家も貧乏。庶民に至るまで(一部の豪商を除き)均しく貧しかったようです。
しかしながらみな精神的に豊かで、比較的幸せな人生を送っていたようです。
 
そういう極めてバランスの取れた、成熟した社会システムがありました。だから江戸時代は二百数十年も存続し得たわけです。
学校の教科書に描かれているイメージとは大きく異なります。