政治・経済, 歴史ってすっげ~面白い

教育勅語が話題となっています。
敗戦後、教育勅語を敵視する風潮が極めて強いのですが、しかし教育勅語の一体どこが悪いのでしょうか。
 

【教育勅語と現代語訳】
http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm

 
フリガナの入った文をお読み下さい。
父母への孝、夫婦や兄弟、友への愛や和を説いています。そして公益を重んじ国法を遵守しろ、もしひとたび事あらば公のために尽くせ。これが我が国の、昔からの教訓だ、道理だ・・・・と書かれています。
何か間違っていますか? 変なことが書かれていますか?

歴史ってすっげ~面白い

近年、
「聖徳太子は実在しなかった」
などといった、たわけた説が出回っています。
 
文科省の次期学習指導要領改定案によると、
「聖徳太子というのは死後の諡(おくりな)であり、教科書に掲載する名前として相応しくない」
という話になっているのだとか。
 
ヴァカかアホかと(^^;

インチキ縄文歴史観を粉砕する

 
前編より続きます。
 
 

土器は簡単に作れるモノなのか!?

縄文土器。・・・・
 
私達は学校で、
「粘土をよく捏ね、丸めて棒状にし、それをぐるぐる積み上げて・・・・(以下略)」
などと、作り方を教わります。
また各地で「縄文土器を作ろう」といった体験教室が開かれたりしていて、いかにも、
「子どもでも簡単に作れるんだ・・・・」
というイメージを受けます。

魏志倭人伝の謎が解けた!!

その4より続きます。
 
 
というわけで、幸田説(笑)によれば邪馬台国は、現在の宮崎県宮崎市です。
 

【幸田蒼之助の休日】 2014/11/24
“邪馬台国は宮崎にあった!!”

http://offtime.sohnosuke.com/?p=10404

 

邪馬台国は宮崎県宮崎市ではないか!?

古神道の方々や、邪馬台国宮崎説を唱える数々のアマチュア研究家の方々は、
「邪馬台国は現在の西都原古墳群(宮崎県西都市)付近だ」
と主張されています。
しかし幸田は敢えて、宮崎市説を提唱します。

魏志倭人伝の謎が解けた!!

その3より続きます。
 
 

邪馬台国は宮崎平野だ!!

さて、地図③の邪馬台国は、起点①の伊都国から「南へ水行10日、陸行1月」です。
「南へ水行10日」は、有明海を岸伝いに南下、でほぼ間違いないでしょう。そして天草を抜け、おそらく現在の熊本県八代市辺りに上陸したと思われます。
 
続く「陸行1月」というのは、上陸地点八代市付近から人吉市~宮崎県えびの市~小林市~宮崎平野という霧島連峰越えのルートを辿ったのでしょう。現在そのルートを九州自動車道~宮崎自動車道が通っています。

魏志倭人伝の謎が解けた!!

その2より続きます。
 
 

伊都国は佐賀平野だ!!

そこで一旦、伊都国、奴国、不弥国比定地の定説を念頭から消し去りましょう。
で、改めて地図を眺めます。
魏志倭人伝の記述によれば、
「末廬国(長崎県唐津市付近)から東南に500里」
だそうです。通説に従うと「1里=約80m」らしいので、「500里=約40km」です。
 
するとどこに辿り着くでしょうか。何と佐賀市、小城市付近なのです。
あの有名な吉野ヶ里遺跡のある、佐賀平野。・・・・
なんとなく、納得出来ると思いませんか!?

魏志倭人伝の謎が解けた!!

その1より続きます。
 
 

奴国 ≠ なこく

しかし、「奴国」の読みが「なこく」でないとしたら、どうでしょうか。
実は漢朝にしろ魏朝にしろ、漢音なのです。ですから「なこく」と読む筈がない(!!) 正解はおそらく、「どこく」もしくは「とこく」なのです。
となると、「那」という地名との関連性が根拠を失います。
 
「まあ、でも金印が出土してるじゃないか」
とおっしゃる方も、いることでしょう。
しかし金印は持ち運び可能ですから、金印が出土したからと言ってそこが奴国であるとは言い切れないわけですよ。
誰かが盗み出して、こそっと埋めたのかもしれませんよね(笑)

魏志倭人伝の謎が解けた!!

わははは。
なんつーか、実は凄く簡単な話でした。
 
いざ解けてみると、全てが「納得」です。ややこしい数学の問題を解き、スッキリ感を味わいつつ、
「うん、これで絶対合ってるはず♪」
と自然に確信する時がありますよね。あんな感触を味わっています。
 
陳寿の著した「魏志倭人伝」の記述は、意外にもかなり正確でした。
地図を眺め、考古学情報を連想しつつ、キレイに(!?)腑に落ちます。
記者会見でも開いて発表したい気分です(笑)