歴史学者は論理思考力ゼロ? それともイカサマヤロー!? - 後編

歴史ってすっげ~面白い

  • 王土王民という理念自体は、おそらく世界中で自然発生的に生じた筈。そう考えるのが自然。
  • 当然、古代中国にも存在した。しかし「思想」と呼べるような、体系的なモノが存在したかどうかは疑問。根拠不在。
  • 勿論、古代日本にも存在した。しかしそれが、古代中国から伝わったかどうかは疑問。これまた根拠不在。

というわけです。

であれば、

  • 古代中国の「律令制的」社会制度は、「王土王民思想に基づくシステム」とは言えない。
  • 日本の律令制は、古代中国の社会制度に倣ったモノではあるが、丸パクリではない。
  • 少なくともその根底にある社会思想は、日本独自のモノである。

というわけなんですよ。
 
 
 

似て非なるもの

日本の律令制を見れば明白ですが、王土王民思想じゃないんですよね。公地公民思想なんですよ。
両者は似ているようで、全く異なります。

前編の記事をお読み頂きたいのですが、そもそも古代日本に王は存在しません。
大陸や半島の人々が、天皇を「王」ないしは「大王」と呼称しただけの話です。
当の古代日本人は、皇子や皇女という言葉がないため「王」という呼称を当てています。本来の「王=king」という意味ではありません。

古代日本は、既に前編でも指摘したように「連邦国家」です。ですので天皇は、強いて言えば王ではなく「皇帝」です。
しかし正確に言えば皇帝でもありません。皇帝とは「支配者/統治者」です。ですが天皇は、支配者でも統治者でもないのです。
 
 
 

今こそ学ぶべきは「日本古来の社会思想」

だから、おそらく王土王民という理念は古代日本にも自然発生的に存在したでしょうけれど、Wikipediaのヨレヨレ記事に見られる通り、日本人に根付かなかったのですよ。
王土王民ではなく、公地公民という社会思想が確立したわけです。

だから律令制は、確かに古代中国のシステムに倣ったかもしれませんが、根幹がまるで異なるのです。
……そう理解すべきではないでしょうか。

戦後日本においては、GHQによってマルクス主義史観にかぶれた歴史学者のみが、大学教職として再雇用されました。
彼らの色眼鏡によって、太古より育まれてきた日本独自の社会思想がないがしろにされ、或いは塗り替えられてきました。

そういった嘆かわしい事情の存在を知り、彼らの事績から「妄言」を見抜く必要があります。
歴史とは往々にして、捻じ曲げられたり隠蔽されたりするものですが、それを可能な限り排除してゆくべきだ、と幸田は考えます。

あるべき日本の将来は、歴史が教えてくれます。西洋の社会思想ではなく、日本古来の社会思想を今こそ学ぶべきです。
そのためにも、歴史を曇りなき目で読むべきなのです。