歴史に学べば解かる、「少子化は大問題」というウソ
昨今、右を向いても左を向いても、
「少子化は良くない」「少子化は大問題だ」
という意見ばかり耳にします。
本当でしょうか。
日本人全員、集団催眠にでもかかっているのではないでしょうか?(苦笑)
個人の、そして社会の究極の目標が、
「豊かに幸せに生きる」
ということであると仮定すると、実は人口増加にメリットはありません。
歴史を見れば、明白です。
縄文時代は今日の人口よりずっと少なかった。おそらく100分の1以下だっただろう、と言われています。
気候が温暖で、食に満ち溢れたユートピアでした。考古学的成果から、身分差も貧富の差もなく、そして何より戦いがなかったと判明しています。出土する縄文人骨に、戦闘による負傷の痕跡がないのです(!!)
そこから解かるのは、
「衣食住に不足不自由がなければ、戦いは起きない」
ということ。さらには、
「生態系のバランスを崩す程、人口が増えるから、衣食住に不足不自由が生じる」
ということ。
換言すれば、
「人口が増えるから、衣食住すなわち社会的リソースに不足が生じる。社会的リソースの配分や、不足分を他所から獲得すべく『権力』が生じる。そこから身分差や貧富の差が生じる」
というわけです。
弥生時代。
気候変動により気温が低下し、食糧が激減しました。日本全国で戦いが始まり、集落は環濠で防御されるようになりました。狩猟・採集の生活では食料確保が困難になり、大規模な灌漑農業が始まりました。
そこに、前述の事象が生じるわけです。大規模農業や戦闘を指揮し、社会的リソースの配分などを司る「権力者」が生まれ、身分差や貧富差が生まれる。皆、農耕や戦闘に従来以上の労働リソースを割かざるを得なくなり、幸や富が減少する。・・・・
結論。人口は少ない方が良い。
生態系バランスを崩さない範囲内の人口を維持すれば、人は豊かに幸せに生きることができるのです。
人口が増えれば増えるほど、あらゆる方面に無理が生じ、個々人の幸や富が減少します。これは歴史の法則です。
ではなぜ今日、歴史の法則に反する、「少子化は大問題だ」と言う声ばかり耳にするのでしょうか。
日本の国土は狭いです。既に適正人口を大幅に超過しています。にもかかわらず、もっと人口を増やせというのです。移民を促進しろというのです。
「何かがおかしい」
と、小学生でさえ解かります(^^;
なぜ、こんな矛盾が生じるのでしょうか。一体何が原因なのでしょうか。
これまた歴史を見れば、答えは自ずと明らかです。今日の社会のデザインが悪すぎるのです。コンセプトに大変な欠陥があるのです。
「人口が増え続けない限り社会を持続できない」
という、極めて稚拙なデザインが為されているからなのです。
江戸時代。
260年も持続しました。なぜなら、
「人口が増えようが減ろうが問題が生じないよう、社会がデザインされていたから」
です。
つまり、身分別の人口比も産業別の人口比も、終始固定されたままでした。ですからいかに人口の増減があろうと、そんなことは社会の持続性に影響しないのです。
だからこそ江戸時代は260年も持続した、と言えます。
学者先生方は、
「江戸時代は『徳川幕府の安泰を目的として』、身分制や世襲制を土台とする社会を構築した」
などとインチキ歴史観を私達に刷り込みますが、とんでもない話です。これは日本の長い歴史が育んだ、極めて高度な社会思想によるものなのです。江戸時代という社会のコンセプトに、極めて高度な社会思想があるのです。
戦後、日本史が改ざんされ、歴史教育が破壊されました。私達は、
「歴史を学ぶ」「歴史に学ぶ」
という機会を奪われました。その結果、
「少子化は大問題だ。少子化を食い止めて人口を増やせ。それが無理なら移民を促進してでも人口を増やすべきだ」
などといった暴論がまかり通るようになり、かつ誰もそれが暴論だと気づかなくなりました。
かくして日本の崩壊が進行しつつあります。
ディスカッション
コメント一覧
卑弥呼の墓は西都原?10年前に宮崎方面を旅して、地元の市会議員さんの案内で私の意見を現地で述べたところ、司馬遼太郎先生も案内した市議は同じことを言われたと回想。
その後山口の山形明郷先生の本で晋書を知り、卑弥呼と公孫氏の関係を立証することで可能か?と調査してます。大分県日田市出土の鏡の研究をしてます生駒です。電話が現在つながらないので、コメントで連絡しました。北九州市小倉北区で1999年より日巫女神社を設立してます。
生駒一族は垂仁天皇イクマまで遡ると叔父から聞いてましたので、生目古墳、生目神社も五年前に行き鏡の御神体にしての祭司が同じと確認。卑弥呼の御神託で日田の鉄鏡を復元したこともありますが
幸田様が天下を正しい方向に理念をお持ちでしたら、090********にご連絡いただけますか?
直感と判断、解析、行動力で混迷した今の日本を解決するデザインをお聞きしたく、お待ちしてます。 2019.10.31 巫女舞座 生駒しほ子
生駒さん、コメントありがとうございますm(_ _)m
>>直感と判断、解析、行動力で混迷した今の日本を解決するデザインをお聞きしたく、お待ちしてます。
携帯電話番号を頂戴致しましたが、コメント欄への直接掲載は当方にてカットさせて頂きました。
連絡は kouda@person.co.jp まで、メールを頂けると助かります。
>>卑弥呼と公孫氏の関係を立証することで可能か?と調査してます。
幸田は不勉強にてよく解らないのですが、非常に興味があります。
機会があれば、是非詳しく教えて下さい。
>>生目古墳、生目神社も五年前に行き鏡の御神体にしての祭司が同じと確認。
これまた非常に興味深いですね。
別記事等にも書いておりますが、魏志倭人伝には「伊支馬」(11代垂仁天皇?)の他、「弥馬獲支」(10代崇神天皇?)のお名前もあります。
大淀川を挟んだ生目古墳群の対岸には、かつて生目1号墳と同規模の大型墳丘墓が存在し、またその周辺一帯に3世紀頃の遺物がたくさんあるようです。
かつ宮崎市には、12代景行天皇が長期滞在された伝承もあります。また意外にも、崇神天皇の謂われ、所縁(ゆかり)が多々見られ、その辺りも幸田の邪馬台国宮崎説の根拠だったりします。
残念ながら幸田は現在宮崎を離れ、福岡市在住ですので、追加調査の機会を失っておりますが。……
今後、生駒さんのご意見等も色々とお聞かせ頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。