吉野ケ里遺跡に行ってきました

歴史ってすっげ~面白い

4月6日(2019年)、吉野ケ里遺跡に行ってきました。
快晴。桜満開。気温も程よく、最高のコンディションでした。
 
20年以上前に行ったことがあるんですけれど、当時とまるで様子が異なりますね。
以下、色々と感じたことを書き並べてみたいと思います。
 
 
 

佐賀平野こそが「伊都国」

幸田は、この吉野ケ里遺跡付近こそが「伊都国」だろうと思っています。

魏志倭人伝に記述されている「末盧国(唐津湾松浦付近か)」から「東南陸行 五百里」というのは、まさに佐賀平野なのです。
通説となっている「福岡県糸島付近」ではないんです。糸島では、上陸地点からの距離も方角も合わないし、南に海はありません。他にも諸々矛盾だらけなんです。
 
伊都国の中心は吉野ケ里ではなく、それよりわずかに西側の「惣座遺跡」かもしれません。
そちらは吉野ヶ里ほど充分な調査が為されていないそうですが、出土品の質、量が吉野ケ里以上に充実しているっぽいのだとか。おまけに3世紀当時、有明海の海岸線まで見渡せただろう……とのこと。
 
つまり佐賀平野こそが、卑弥呼邪馬台国が遠国当地のため「一大率」を置き、かつ大陸や半島との外交や交易を司った拠点だ……と幸田は考えます。
そう考えるのが、魏志倭人伝記述の解釈として一番自然なのです。通説の糸島であれば、矛盾だらけなのです。
 
 
 

宮室、楼観、城柵が厳かに……!?

その伊都国の中心地が、おそらく惣座遺跡でしょう。後に肥前国の国府となった場所(佐賀大和IC付近)です。
吉野ヶ里はその近郊の集落、という位置づけだと推測します。伊都国の一角を成すわけです。
 
しかし、現地に行き復元された諸々を眺めて感じること。
とにかくショボ過ぎる(^^;
 
魏志倭人伝の記述を読む限り、中華思想を有する尊大な古代中国人(魏朝の使者達)が、古代日本人の事をかなりポジティブに記述しています。
「宮室、楼観、城柵が厳かに設け……」
と書き表し、その他の記述と合わせて「文明国」と認めるニュアンスで紹介しているのです。3世紀当時の日本は、彼らから笑われないだけの文化水準であり、かつ土木建築技術があったわけです。
 
彼らが日本に入国し、最初の拠点たる伊都国に辿り着きます。
そこで仮に、現在吉野ヶ里遺跡において復元されているようなレベルの柵、環濠、建物や住居、物見櫓を眺めたとして、
「おおっ、宮室だ」
「楼観だ」
「城柵だ」
「実に厳かだ……」
と感じるでしょうか。
 

現地の案内の方々は、
「当時の様子を全くそのまま再現している」
と、やたら強調していましたが、所詮学者先生方の想像にて、
「古代日本人の建築物なんて、せいぜいこんなもんだろう……」
と復元しているわけですよ。
 
「どこが厳かなんだよ(^^;
と幸田は言いたい。
「いやいやいや、実際はもっとスゴかったんだろうなあ」
と思わざるを得ません。
 
 
 

軍事的防衛力が無い!?

まず、V字の外環濠が浅い。
深さはせいぜい数m。幅も3mとか、そのくらいに見えました。そして城柵の高さが2m強か。
あっさり泳いで渡れるでしょうし、弓だって簡単に届く距離です。
その程度で、果たして軍事的防御力があるのかどうか。……
 

中世の城の堀からすれば、あまりにも貧弱なんですよね。
内環濠にいたっては深させいぜい1m。同じく2m強の城柵があり、内環濠があって、そのさらに内側に逆茂木。
敵に本気で攻められたら、何の役にも立ちません。ひとたまりもない筈なんですよ。
 
つまり、現実の吉野ヶ里はもっと高度な防御力を持っていたと幸田は想像します。
あんなショボい柵ではなく、もっと高くて頑丈でしょうね。実際はまさに「城柵」と呼ぶに相応しいレベルだったのでしょう。
 
或いは当時の佐賀平野は、軍事的防衛を必要としない環境だった、とも考えられます。
せいぜい不審者や野生動物の侵入を防げるレベルでOKだった……と。
そういう事であれば、まああの復元レベルでも説明がつくのでしょうけれど。
 
 
 

竪穴住居の復元はやはりインチキ

復元されていない、発掘したままの竪穴住居跡をご覧下さい。
 

写真は福岡市西区の野方遺跡。弥生時代後期の住居跡です。
竪穴の深さはせいぜい数十cm。周囲には溝も土手もありません。
 
だからちょっと大雨でも降れば、途端に中は水浸しとなっただろう……というのが幸田の想像です。
それじゃ住居としての要件を満たしていないじゃないか、と。実際は今日の復元住居より、もっと高度な建築物構造だったのではないか、と。……
 
吉野ケ里遺跡の復元住居は、周囲に30cm程の土手が築かれていました(笑)
さらにそれを、コンクリートで固めたり、板で囲ってあったりしました。
そうやって、復元住居を設計した学者先生方が、雨が侵入しないよう現実の発掘状況と異なる工夫を凝らしているわけですよ。