宮崎神宮の参道はなぜ、真南よりわずかに東向きなのか
ネットサーフしている最中、
「宮崎神宮(神武様)の参道は、真南ではなくわずかに東向きに延びている。何故だろう?」
という疑問を呈しているサイトを見かけました。
ざっくりググってみたんですが、その答えを提示している方、いらっしゃらないようですね。
なので幸田が答えを提示したいと思います。
直線で33km離れた、鵜戸神宮(山幸彦/ウガヤフキアエズ伝説)の方角をほぼ正確に向いています。
どちらも極めて古いです。過去に何度か社殿等を建て替えている筈ですが、しかし履歴は残っていないのではないかと思われます。
ただし大々的な移動はないでしょうけれどね。
小さな神社であれば、社殿が古くなれば解体し、その場に建て替えます。
ですから本殿の位置や向き、参道は昔からずっと同じだったりします。
大きな神社であれば敷地も広いので、すぐ傍らに建て直した後、古い社殿を解体します。当然、参道もそれに併せて引き直しでしょうね。
宮崎神宮や鵜戸神宮の場合、どちらでしょうか。
Google Earthで線を引いてみると、実は参道の向きがほんの僅かにズレています(とはいえ、誤差レベルですが)
鵜戸神宮を向いているのは間違いないでしょうけれど。……
- 古代のことなので、カンペキな測量はさすがに無理だった。
- 海水面の変動により本来の鵜戸神宮が水没し、現在の岸壁に本殿を建て替えた(元の位置からわずかに西側に移動した)
- 宮崎神宮の参道が、元々の位置よりわずかに西向きに変更された(航空写真を見ると、それらしい痕跡はある)
の、いずれかではないか、と幸田は考えます。
遺跡等が一直線上に並んでいることを、レイラインと言います。
日本の遺跡(特に縄文時代の巨石遺構)や神社、古墳等もよく一直線に並んでいます。或いは正三角形、二等辺三角形を形成していたりします。いわゆる「日本版レイライン」が存在します。
太古より高度な測量技術が存在したことは、歴然としています。
だからこそ太古の日本人は、太平洋を横断し遠く南米辺りまで航海出来たのかもしれません。
宮崎神宮の参道の向きは、まさにそれを裏付ける証拠の1つかもしれませんね。
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