「渡来人が農業技術をもたらし、弥生時代が始まった」というインチキ歴史観を暴く

2016/10/10インチキ縄文歴史観を粉砕する


 
前編より続きます。
 

【不思議.NET】 2016/09/29
“縄文時代←13000年も何の進歩が無かったのはなぜなのか?”

http://world-fusigi.net/archives/8595136.html

 

「弥生時代」「弥生文化」というインチキ歴史観

アカデミズムによると、
 

  • 紀元前3世紀頃から渡来人が流入し、コメや農業技術がもたらされた。
  • 渡来人が縄文人を淘汰し、或いは混血が進み、新たな『弥生人』が誕生した。
  • 彼らによって生まれた農耕経済の時代が、『弥生時代』である。

 
だそうです。なるほど。

皆さんも学校でそう習いましたよね。
縄文時代は狩猟経済。渡来人がコメと農業技術を持ち込み、農耕経済社会へと転換した。縄文時代と弥生時代の違いはそこだ、と。・・・・
 
ところが、詳しく調べてみると、学者先生方の主張はどうも奇妙なんですよ。
 
論点は2つ。
 

  • 本当に渡来人が大量にやってきたのか。
  • 縄文時代には本当に、コメや農業技術がなかったのか。

 
 
 

渡来人大量流入の証拠が全くない!!

渡来人が大量にやってきたのであれば、いろいろと痕跡が残る筈です。
痕跡がたくさん存在するために、学者先生方がそうのたまっているのであれば、そりゃもう当然納得できます。
 
ところが不思議なことに、渡来人流入の痕跡が全くないんですよ。
考古学的成果から、たまに1家族、2家族程度の流入の痕跡は見つかっているそうです。ただし例外なく、早々に縄文人と同化してしまっているのだとか。
 
なによりも、渡来人が大量にやってきて土着の縄文人が淘汰されたのであれば、言葉だって変化した筈です。ところが日本語というのは言語学的に見て、
「最低でも6千年以上の歴史を持つ、世界最古の言語である。しかも孤立語である」
と言われているのです。
 
学者先生方の言うように、弥生時代に渡来人が大量流入したのであれば、その時点で彼らの言語に置き換わっている筈です。
ところが前述の通り、日本語は少なくとも6千年以上前から日本語のまま。言語が置き換わった形跡がないのです。しかも「孤立語」で、大陸や半島の言語との関連性がほとんどない。
 
学者先生方は、何を根拠に、
「渡来人が大量にやってきた」
と言っているのでしょうか。なぜ、
「渡来人がコメや農業技術を(朝鮮半島経由で)もたらした」
と言っているのでしょうか。
幸田は未だに、主張の根拠を見つけることができません。
 
最近ではY染色体DNAやミトコンドリアDNA、そして核DNAによる調査研究が進み、
「渡来人の流入による弥生人誕生」
はほぼ否定的な状況となっています。
 
 
 

縄文時代にも農耕は行われていた!!

1978年に、福岡市の板付遺跡から縄文晩期の農耕跡が見つかっています。
ですのでこの時点で、
「弥生時代に農耕が始まった」
という定説が覆っていた筈なのです。またコメや農業技術が、渡来人によってもたらされたという証拠も見つかっていません。
 
そして1980年には佐賀県の菜畑遺跡で、紀元前10世紀頃の農耕跡が見つかりました。
一方で、それらが渡来人によるものだ、という証拠は見つかっていません。
 
さらに驚くべきことに、最近ではプラントオパール調査というものによって、縄文早期の稲作の痕跡が見つかっているのです。
1999年に岡山県の朝寝鼻貝塚において、栽培種の稲の痕跡を発見したと発表されています。考古学者ではなく農学者が、縄文早期時点での農耕の痕跡を証明しました。
 
縄文早期、つまり今から約6千年前にはここ日本列島でも農耕が行われていたのです。
紀元前3世紀だとか5世紀だとかに、渡来人によってコメと農業技術がもたらされた、という説は完全に崩壊してしまっているわけですよ。
 

  • 縄文早期時点で既に、日本にはコメもあったし農業技術も存在した。
  • それらを渡来人がもたらした、という証拠は全く見つかっていない。
  • 前編で述べたように、当時の日本列島は『食のユートピア』だった。
  • 食料が豊富、かつ簡単に得られたため、敢えて面倒な農耕をほとんど行わなかった。行う必要がなかった。
  • そのためあくまで補助的に、細々と稲や雑穀の栽培を行っていた程度と推測。
  • 気候変動により日本列島の気温が次第に下がり、温帯に。
  • そのため食料が不足し始め、それに伴い農耕のウェイトが増大。各地で大規模な農耕が始まる。
  • 縄文~弥生時代において、渡来人が(縄文人を淘汰する程)大量にやってきたという痕跡は全く存在しない。
  • 結論として『弥生人』は、縄文人が環境変化や食生活の変化により多少変容したに過ぎない(渡来人由来ではない)

 
各種の調査研究によって判明していることを素直に眺めれば、こういうことが解かります。
学者先生方ののたまう「弥生時代」「弥生文化」という歴史観は既に崩壊しているわけです。「弥生人」というのも存在しなかったのです。
 
完全に「根拠なき仮説」即ち「妄想」です。「インチキ歴史観」だと言わざるを得ません。
なぜなら学校の歴史教育において、現在でも相変わらず、そういった「歴史観」を教えているのです。いつまで経っても記述を改めようとしないのです。
これはつまり、アカデミズムが確信犯だという証拠です。ある種の思惑があり、ハナっからインチキ歴史観を刷り込みたいのです。
 
 
続編では、農業についてもう少し補足したいと思います。