「なんでもかんでも大陸や半島からもたらされた、教えられた」というウソ

2017/03/13インチキ縄文歴史観を粉砕する


 
前編より続きます。
 

【カイカイ反応通信】 2016/10/03
“韓国人「世紀の大発見!稲作は韓国から日本へ伝播したことが明らかに」”

http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/49687530.html

 
またいつものウリナラ・ファンタジー・・・・と笑い飛ばせない事情があります。
稲作伝播の件に関しては、日本の学者先生方にも大きな責任があるのです。
 
これまで日本の学者先生方は、
 

  • イネや農業技術は、大陸や半島の渡来人が日本にもたらした。
  • 彼らが紀元前3世紀頃、日本列島に大量流入し、あらたな農耕社会『弥生時代』が始まった。

 
と述べてきました。
板付遺跡の調査研究により、弥生時代の開始時期が若干繰り上がりはしましたが、ほとんどそういった歴史観を何十年も改めることなく放置してきました。
だからK国の学者が、平然とこんなことを主張出来るのです。

なぜ学者先生方は、
「なんでもかんでも大陸や半島からもたらされた。大陸や半島の人々から教えられた」
と唱えるのでしょうか。
1つ1つ確認してみると、ほとんど根拠らしい根拠がないことに気付きます。
 
にも関わらず、ほとんどの学者が賛同し、ほぼ誰も異を唱えない。
これは一体どういうことでしょうか。日本の歴史学は、ホントに「科学」なのでしょうか。
 
これまで述べてきたように、日本における稲作は少なくとも6,000年程前に始まっていることが判明しています。
またイネのDNA調査研究により、日本のイネは半島を経由していないことも判明しています。
 
どちらも農学者の研究成果です。歴史学者や考古学者は、
「なんでもかんでも大陸や半島からもたらされた。大陸や半島の人々から教えられた」
と思い込み、そこで思考停止していた。疑問を抱いて調査研究に着手したのは農学者の先生方。歴史学者が長年唱える「根拠なきインチキ歴史観」を打破してくれました。
 
前出の記事には、
「文化や技術は、大陸から周辺の島々へ伝播するという『歴史の法則』がある」
などと書かれていますが、そんな法則は存在しません(笑) そういうケースが多い、というだけです。
 
そもそも朝鮮半島は、
 

  • 氷河期終了頃に無人地帯となった。
  • 7,000年前頃から人が住み始めたが、彼らは遺伝子的に北部九州人とみられる。
  • 一方、北からはツングース人が流入。混血し古代朝鮮民族が形成される。
  • その後、漢朝によって紀元前108年に楽浪郡が置かれるまで、文化的後進地帯だった。

 
と判明しています。
後々詳述しますが、日本の縄文時代は非常に高度な文化、技術を有していました。後進地帯たる半島から何かが伝わっただとか、教わっただといった発想は、根本的におかしいと言えます。
 
では、イネや稲作はどこから日本に伝わったのでしょうか。大陸からダイレクトに伝わったのでしょうか。
実は、そこにも疑問の余地があるのです。
 
幸田のような中年世代や、もっと上の世代の方々は、学校で「黄河文明」というものを教わりました。今日では黄河文明より多少前に、「長江文明」というものが存在したと判明しています。
その長江文明において、大陸で稲作が始まったと言われているのですが、長江文明の河姆渡遺跡(6,500~7,000年前)では稲作の痕跡と併せて「縄文土器」が見つかっているのです(!!)
 
つまり、
 

  • 約7,300年前、鬼界カルデラの破局噴火によって西日本が壊滅状態となった。
  • 太平洋を横断し南米へ渡れる程の、高度な航海術を有していた縄文人は、この時船に飛び乗って一斉に日本列島を脱出した。
  • その一部は大陸に渡り、長江文明を拓いた。
  • 稲作は大陸から日本に伝わったのではなく、逆に縄文人が大陸に伝えた可能性がある。

 
という仮説も成り立つのです。
 
 
続編では、縄文時代の文化について考えていきたいと思います。
 

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