縄文時代にハイテクが存在した証拠
前編より続きます。
エジプト考古学者の解釈を聞いても全然納得出来ないんですが(笑)、上の動画は面白かったです。ほらやっぱりそうだ、とスッキリしました。
複数分野の専門家を集めたロシアの調査団による、調査結果を取り上げています。
例えば木材が出土したとして、それがノコギリ等の道具で「切られた」のか、強い圧力で「叩き割った」のか、「腐食」により自然と切れたのか・・・・は調べれば判ります。
ギザの三大ピラミッドの石材も同じことだ、というのです。どうやって加工したのかを調査すべきだ、と。
ロシアの調査団は、それをやったのだとか。
彼らの結論。高度なテクノロジーによって加工されたことが、ひと目で判るのだそうです。
そもそも、当時存在したであろう銅ノミでは、大半を占める石灰岩を加工することが出来ないのです。何故なら石灰岩の方が硬いですから(笑)
当時のエジプトに、仮に鉄器が存在したとしても困難です。相当高純度の鉄を精製できたとしても、石灰岩の硬度に敵うかどうか微妙です。
ましてや石灰岩より遥かに硬い、花崗岩を加工するとなると、これはもう到底無理です。モース硬度は石灰岩の4に対し、花崗岩は7。それこそダイヤモンドを使用した工作器具が必要でしょう。
そして、そういった高度なテクノロジーを用いた痕跡が、そこかしこに残っているようです。切断しながら同時に研磨する(笑)、今日の工作器具よりハイレベルな物が用いられているのだとか。
銅ノミでちょっとずつ叩いて割ったのではないのです。表面の化粧石などはまさに、ハイテク研磨機でツルツルに磨き上げているのです。
南米プマプンクの巨石なども、そうでしょうね。
どう見ても、原始的な道具で加工されたものではないですよね。加工技術の専門家も、そう言っています。
さて、他国にはこういったゴージャスな(笑)古代文明の遺物が存在します。
では、我が日本はどうでしょうか。
高度なテクノロジーの存在を匂わせる事実が、実は日本にもあります。古代縄文人は、何と太平洋を横断し、南米に渡っているのです。
南米大陸では縄文土器が出土し、神代文字らしきものが見つかり、またDNA調査の結果、縄文人の末裔らしき人々が存在します。
かつ、後の魏志倭人伝などの記述を考えるに、片道切符ではなく何度も彼の地を往復し、あちらの様子をよく知っていたと判明しています。
つまり、古代縄文人は太平洋を横断できる程の高度な航海術を有していた、というわけです。
古代の船としては、10m級の丸木舟が幾つか出土しています。
しかし、おそらく実際はもっと大きな船が存在したのでしょう。高度な造船技術があったと想像します。そうでないと太平洋横断は厳しいでしょうから。
それだけではありません。高度な航海術のベースとして、極めて高度な天文学知識が存在した筈なのです。
遠洋航海には、まず暦の知識が不可欠です。季節を知り、風、天候、海流全てがベストな時期を判断して出発すべきですから。
それらは天文学がベースとなります。
それから方角を知る必要があります。
ただ適当に出港し、大体あっちの方角じゃね~か?・・・・と大雑把に風任せ海流任せで目的地へ到達できるものではありません。
正確に方角を判断する、高度な天文学知識を有していた筈なのです。
それらは当然、気の遠くなるような長い期間、天文観測を行ってようやく得られるものです。
幸田に言わせれば、学者先生方はそこを軽く考えていると思います。
原始的な技術、器具のみでは極めて困難な作業だと思われます。
そもそも夜間における星の観測は、まず時計がないと無理ですよね(笑) 当時確実に存在したであろう日時計は、夜間だと使い物になりません。夜間でもちゃんと機能し、かつある程度精度の高い時計があって、はじめて観測作業が成り立つのです。
そしてそのデータを、長年にわたって記録する必要があります。ということは、学者先生方は認めませんが、古代縄文人は既に文字を持っていた筈なのです。
つまり、日本には縄文時代から、
- 文字があり、
- 最低でも初歩的な天文学に関する理解があり、
- 長期にわたる天文観測データに基づく、高度な天文学知識があり、
- それをベースとする暦、方角測定の技術、そして航海術(操船技術だけでなく、季節風や海流の知識、海図など)を有し、
- 太平洋を横断し南米を行き来した。
- また太平洋を横断できるだけの船を、建造する技術を有していた。
と言えます。
アカデミズムは縄文時代について、あたかも原始時代に毛の生えたレベル、といったイメージの歴史観を私達に提示します。しかしこれは、とんでもないインチキだと言わざるを得ません。
続編へ続きます。
ディスカッション
コメント一覧
子供の頃、ピラミッドの石は深い傷を付けて木のくさびを入れ、水を注いで木のくさびが膨張する力で、割るように切ったと知りました。でも「石灰岩の方が硬いから」ということを教えていただき、その頃の金属が銅で深い傷を作ることは不可能か、少なくとも時間が掛かり過ぎて、「可能だけど使えない」方法だと分かりました。真実を知ることで夢が無くなるどころか、益々膨らませてもらいました。ありがとうございます。
野村さん、こんにちは。コメントありがとうございますm(_ _)m
ギザの大ピラミッドに使用されている石材は、平均2~3トン。その数は推定230万個とも言われています。
学者先生方の通説によると、
「奴隷を使役したわけではなさそうなので、1年のうち農閑期にあたる3ヶ月ずつ作業し、20年かけて建造した」
だそうです。
となると、作業期間中は毎日コンスタントに、2千個近い石を切り出して現地へ運搬し、積み上げたという計算になります。
時間をかけ、少しずつ削って切り出していたら、作業が全然間に合いませんよね(笑)
その分膨大な労働力を投入するにせよ、逆に建造期間を(通説の20年より)長めに見積もるにせよ、政治学やプロジェクト・マネジメント的に見て非常に困難です。
太古にどんなハイテクがあったのか、と想像するとわくわくしますね。
おはようございます。本当にわくわくしますね~^^
日本の城の石垣も、敵が登れないようにする反りがあったり地震に強い構造になっていたり、なかなか精巧なものです。
私の住む金沢にはその昔、穴田(あのう)衆という集団がいました。
彼らは全国の城の石垣を積む仕事を請け負う専門家集団だったそうで、現在の当主の家には代々伝わる紙に書かれた記録があります。
また全国には、ほかにもそのような石垣を積む集団がいたそうです。
このことは、石を積む仕事は誰でもできるものではなく、少なくとも管理監督をするには代々伝えられ、発展させた技術や知識を持っていたはずだ。
ということではないでしょうか。
ただ、少なくとも彼らは「鉄」の道具を使って石を成形していました。
さて、ギザの大ピラミッドを「人」が造ったとしたら、監督さん一族と、その受け継がれた技術はどこに消えてしまったのでしょう?
かつて、日本中を仕事を終えると渡り歩いた穴田衆のように、どこかに行ってしまったのでしょうか。
彼らが人であれば、技術伝承の記録を書き残していたでしょうから、思わぬ遠いところから見つかるかもしれません。
意外と南米あたりでパピルスが見つかるかもしれませんね(笑)
ただ、、
当時は銅のノミしかなかったなら、どんなに頭が良い「エジプト版穴田衆」が居たとしてもピラミッドを造るのは無理です。
人の仕業ではないなら、紙に書かれた技術書も無くて当然ですよね。
とすると・・・
ま、とにかく「誰か」が一つ大ピラミッドを造って見せた。
人にドヤ顔をしたいために、化粧石まで使って綺麗に仕上げた。
人は土を寄せ、日干し煉瓦を使って「階段ピラミッド」を造った。
「いやいや、そうじゃないちゃんと見てろ」と、誰かがもう一つ作った。
それをまねたけど今度も途中でうまく行かず、誰かに直してもらいながら「屈折ピラミッド」を造った。
その後、誰かは「お前ら、しょーがねーなー(苦笑)」と、ドヤ顔で人を教えながら小さめのピラミッドを造った。
人はその時に色々学んだ。「サルまね」は得意である。
ここで誰かは、念のため布石を打っておいた。
で、人は頑張って頑張って自分達だけで「赤のピラミッド」造った。
そのころは人は知恵がついたので、その誰かに尋ねた。
「もう自分たちでできます。ところでこれは何の意味があるのですか?」
誰かは、ドヤ顔がしたかっただけだった、とも言えず「これら三つのピラミッドは、天空のオリオン座と同じ配置にしてある。空から見るとわかるよ」と答えた。
人は「僕たちは飛べないので、見れません。僕たちには意味が無いことですね」と答えた。
誰かはあわてて「いやいや、それは違う。実はこの四辺は東西南北を示していて、黄金比率がどうで・・」と打っておいた布石を披露し、罪悪感から幾何も人に教えてお茶を濁した。
人はそれが面白くなって、ほかにも色々尋ねるようになった。
誰かはだんだんウザくなってきて答えは適当になり、最後は突然居なくなった。
そして後には、本当は意味がない大ピラミッドが残り、意味が無いことを知った人間は二度と作らなかった。しかし誰かにからかわれたままでは子孫に恥ずかしいので、王の権威づけか何かに利用しようと理屈をコネた・・のかも(笑)
通説では階段ピラミッドから屈折ピラミッド、赤のピラミッドを経てギザのピラミッドに発展したそうですが、古代の記録というものが正しいものなら、それより2千年以上新しい資料に書かれた「邪馬台国」はとっくに見つかっているはずですよね(笑)
このページに触発されて、思いつくままの長文
大変失礼しました^^;
野村さん、コメントありがとうございます。
気付かず10日も放置状態になってしまいました。スミマセンm(_ _)m
長文のコメント大歓迎ですよ。
「誰か」のドヤ顔不発、想像すると笑えますね。
あのう衆だったかどうだかは覚えていませんが、日本に昔からそういう職能集団が存在するという話は聞き覚えがあります。
ちなみに太古の日本にも、謎の「石の文化」がありますね。
例えば神籠石。九州から瀬戸内にかけて十数ヶ所存在します。
アカデミズムは6~7世紀の建造だとうそぶいていますが、まるで根拠なし。紀元前神武東征の歴史に絡んでいることも考えられます。
関西にも兵庫県高砂の「石の宝殿」(生石神社御神体)だとか、奈良県橿原の「益田岩船」だとか。・・・・
南米の巨石建造物も凄いです。
プマプンクにサクサイワマン。オリャンタイタンボ。見るからに機械加工です。
エジプトに目を転じると、野村さんが挙げておられる屈曲ピラミッドや赤のピラミッドは、クフ王の親父さんスネフェル王時代の建造物ですが、それらと大ピラミッド(クフ王建造?)との技術レベルの差が段違いだそうで。
で、クフ王の次の代にになるとまた、技術レベルがガクリと落ちるんだとか。
https://www.youtube.com/watch?v=6Sh2y6xJPK8
この動画、個人的にお勧めです。
前半の内容も衝撃的で面白いのですが、後半でクリミア半島付近のロストテクノロジーについて言及されています。