国家安全保障問題から目を背ける「平和主義」「護憲」はインチキでしょ(^^;
先日駅前のバス停で立っていると、目の前のロータリーで「平和憲法を守る会」的な名称の団体が、マイク片手に一生懸命九条護持を訴えていました。
アヤシげな団体ではなく、ご高齢の方々が学者の意見を聞きつつ、真面目に勉強している団体のようでした。
バス待ちの10分強、聞くともなしに聞いていました。しかし残念ながら、びっくりするほど稚拙なことを述べているんですよね(^^;
よく見聞きする考え方なのですが、あたかも、
「自らが平和憲法を持っていれば、周囲の国々の脅威なんかあり得ない・・・・」
といった論調なのです。
曰く、
「北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてくる・・・・なんてことは考えにくい。そんな力はないだろうし、そんな愚挙を考えること自体があり得ないだろう」
などと行った塩梅。
それから約10日後。一気に北朝鮮情勢が緊迫してきました(苦笑)
アホですか(^^;(^^;
考えにくい、あり得ない・・・・ではなく、常日頃考えておかなきゃいけないんです。
今日の日本人は、知識層と言えど歴史を知らな過ぎます。
敗戦後の歴史教育が改悪され「歴史クイズ」と化し、本当に学ぶべき歴史を学んでいません。そこがマズい。
古代~中世の外交史
日本は古代からつい戦前まで、
「外国からの侵略をいかにして防ぐか」
を常に「課題」としてきました。
古くは朝鮮半島勢力が幾度となく対馬に侵攻して来ています。その度に撃退しています。
記紀ではなく、古史古伝にそういった記録が残っています。
7世紀、中大兄皇子(後の天智天皇)は百済の要請に応じ半島へ出兵。唐・新羅の連合軍と対峙しますが、何故か友軍百済の裏切りにあい(^^;、白村江の戦いにおいて敗北。
以来しばらく、唐の侵攻に怯え、国防に力を注ぐ日々が続きます。
それから13世紀の元寇の役。これは2度にわたり、元軍が九州に上陸します。幸い2度共、勇敢な鎌倉武士が撃退に成功します。
秀吉の朝鮮出兵とスペイン
中世においても、本来絶対に学ぶべき外交史が存在します。即ち、
「豊臣秀吉はなぜ、朝鮮出兵を決意したのか」
です。
学校の歴史教育では全く教えませんが、これは当時のスペインの戦略が大きく影響しています。
当時のスペインは、アジア諸国をはじめとする非キリスト教国を「未開国」と見做し、植民地化とキリスト教化を進めていました。当然ながら日本もそのターゲットでした。
ところが当時の日本人は、知的水準が高くてキリスト教の布教が思うように進みません。
また武士が極めて勇敢で、しかも鉄砲が物凄く普及していました。
種子島時堯がポルトガル人から2丁の火縄銃を譲ってもらい、僅か2年でそれを独自技術にて模倣。それから10年そこらで全国に普及し、その数は欧州全体の保有数を超えた(笑)といいます。
そんな状況を見て、スペインは日本侵攻と植民地化を困難と判断します。そこで先に明国を征服し、その軍事力をもって半島と日本を侵攻しようと企てていたのです。
秀吉は、彼らがキリスト教の美名を掲げつつ、大量の日本人を密かに奴隷として売り飛ばす事に激怒していました。
また近い将来の目標として、日本征服を企てていることを知り、その先手を打つべく半島、大陸への出兵に着手したのです。
学校の歴史教育においては、あたかも秀吉の征服欲が昂じて朝鮮出兵を行ったかのようにイメージ付けます。
しかし事実はまるで異なります。日本という国家の安全保障に関わる、重大事態にあったのです。
帝国主義とアジア
近現代の外交史においても同様です。
欧米列強はアジアの植民地化や利権獲得を公然と目指していました。その脅威は日本とて例外ではありません。
その脅威から如何にして日本を守るか、という国家安全保障上の重要命題が存在しました。
幸田に言わせれば非常に謎なのですが、現在の日本はアメリカと同盟を結んでいます。しかしアメリカという国は、ペリー来航以来「利害の背反する敵国」です。
ペリー来航は「恫喝外交」などではありません。明らかに「軍事行為」です。なにしろ江戸の喉首で、堂々と大砲をぶっ放しているのですから(^^;(^^;
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