「大陸様半島様ありがたや~」史観をどげんかせんといかん

2019/02/01歴史ってすっげ~面白い

素麺は生姜で食べるものだ、という主張をネットで見かけ、非常に驚きました。
いや、幸田は素麺をおろし生姜で食べたことがありません。素麺の薬味は、何の疑いもなく「山葵」と思っていました。山葵と、刻んだ小ネギ。
 
なるほど。関東では生姜なんですね。
その他の地域ではやはり、山葵がメジャーなようですけれど、それ以外にも様々な薬味をチョイスするんだそうです。
 
では、素麺の発祥地である大和三輪ではどうなのか・・・・と調べてみると、やはり山葵のようですね。

んでもって、ふと素麺の起源が気になり、ついでに調べてみたんですよ。
 

【素麺 - Wikipedia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E9%BA%BA#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 
 
 

漢代の「索餅」が素麺の起源!?

ほうほう。索餅(さくべい)という、漢の時代の食品がルーツだそうです。
唐代、つまり日本の奈良時代に我が国に入ってきて流行し、それがやがて素麺へと形を変えた・・・・という説が有力なのだとか。
で、その索餅とやらは如何なモノなのでしょうか?
 

【索餅 - Wikipedia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A2%E9%A4%85

 
「小麦粉と米粉を水で練り、塩を加え縄状にした食品で、乾燥させて保存し、茹でて醤・未醤・酢付けて食べたとみられている」
だそうです。或いは、
「ひねった形の揚げ菓子の一種という説もあり・・・・」
だそうです。なるほど。
 
ん?
素麺と全然違うじゃん(^^;
 
強いて言うならば、
 

  • 小麦粉に水を混ぜ練って作るところ
  • 乾燥させて保存
  • 茹でて食べる

 
という特徴が一致しますけれど、そんなもの、大昔から存在するありふれた製法や調理法に過ぎませんよね。
 
 
 

形状不明なのに「形が似てる」・・・・って!?(笑)

つまり、
「素麺のルーツは、唐代に日本へ伝わった索餅だ」
と、どこかに記録が残っていて然るべきなんですよ。
そうでなければ、索餅なんてありふれた製法や調理法の食品が、「起源」を主張するなんて筋違いなわけです。
 
日本は昔から識字率が高く、例えば唐代に該当する奈良時代であれば個人の日記等が大量に残っていて、当時の様子が極めて細かい事まで判明します。
ですから勿論、索餅についても、広く流通していたことが幾つかの記録によって裏付けられています。
 
しかし、
「索餅を元に、素麺が考案された」
という記録は見当たらないようです。
ヘンだと思いませんか?
Wikipediaの記述をよく読むと、諸説あるが索餅説が有力、とのことです。これはつまり、確実な記録が存在しないことを意味します。
 
にも関わらず、なぜ索餅説が有力なのか。
「索麺(そうめん)はそれまでの索餅と形状も名称も似ているため」
だそうです。
 
あれれれ?
「(索餅の)形状については不明であり・・・・」
と書かれてるんですけど・・・・(笑)
話が矛盾してませんか!?(^^;
 
 
 

索餅と素麺を繋ぐ記録や根拠は存在しない!!

まとめます。
有力とされている索餅説は、料理及び食文化研究家の奥村彪生氏が唱えているのだそうです。
 

  • 奈良時代、唐より索餅という食品が入ってきたこと、そしてそれが大いに流行ったことは記録に残っている。
  • しかしその索餅が、どのような形状をしていたのかは不明。
  • 索餅を元に、素麺が考案されたという記録は存在しない。
  • ただし、南北朝時代には既に、現在の素麺に極めて近い食品が存在したそうである。
  • その南北朝時代の索餅の形状は素麺そっくり=索餅を元に、素麺が考案された。

 
とおっしゃっているらしいのですが。・・・・