なんかヘンだよ日本の平和主義 - 後編

2016/06/30だからこそ「憲法改正」,国際社会と「日本人の矜持」

【JBpress】 2016/06/28
“東シナ海で一触即発の危機、ついに中国が軍事行動”

中国機のミサイル攻撃を避けようと、自衛隊機が自己防御装置作動
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47196

 
前編より続きます。
 
 
ヒトの社会においても、ケンカを一切やらない、ケンカを最後の最後まで回避するということはなかなか難しいです。
なぜなら、世の中聖人君子ばかりではありません。ならず者が少なからず存在します。時には社会権生存権を脅かされることだってあります。

何もかも平和的友好的な対話のみで、お互いwin-winの関係を築くことは極めて困難です。所詮、絵に描いたモチです。
そんなことは小学生でも知っています。いや、コミュニケーション能力の未熟な小学校世代の方が、むしろその本質をよく理解しているかもしれません(笑)
 
それでもまあ、
「多少、個人的利益を失うことがあっても良い。徹頭徹尾、ケンカを避ける」
と覚悟するなら、それも可能でしょう。
なぜか。
ヒトの社会には、「警察」があるからです。
 
警察の力を借りて、最悪でも生存権は保護されます。ヒトの社会の場合、警察を始めとする様々な保護機能が存在するため、ケンカという最終手段を完全放棄するという選択も成り立つわけです。
 
 
 

国際社会には「警察」がない

では、これが国家の場合、どうでしょうか。
ヒトの社会と同様に考えるわけにはいきません。なぜなら国際社会には「警察」が存在しないからです。
ならず者国家がやってきて無理難題を吹っかけられても、「警察」が存在しない以上自らの力で対処するほかありません
 
最初は当然、平和的友好的に対話を行い、紛争を解決しようと努力するでしょう。一対一で対話解決に至らない場合は、国際社会にも訴えかけて解決を模索することになるでしょう。
しかし相手がならず者国家であれば、それすらも通用しないケースがあるわけです。
 
となると自らの(国家的)生命や国益は、最終的に自ら守るしかありません。悲しいかなそれが現実です。
実際に行使すべきかどうかは別として、いざとなれば戦争も辞さない、という覚悟と準備は常に必要なのではないでしょうか。
 
「ハイハイご無理ごもっとも(^^;
と薄ら笑いを浮かべつつ、ギリギリまでケンカを避ける。そして最後には警察に泣きつく。ケンカなしで問題解決。
ヒトの社会であればそれも可能です。しかし国家間の場合、そのような対応は不可能なのです。
 
「これ以上無理難題を言うようだと、1発2発はぶん殴ってやるからな!!」
という、毅然とした態度を取るべき時だって、残念ながら存在するのです。実際に殴りはしないにしても、そのくらいの姿勢を示しつつ問題解決に臨む。
言い換えると、それが出来ない国家は、一人前の国家として国際社会に認めてもらえないのです。
 
 
 

平和主義イコール「不戦」ではない

日本がいかに一生懸命国際貢献しようと、いつまで経っても一人前の国家扱いされない現実。
その原因は正に、そこです。
 
北方領土問題は少々性質が異なり厄介ですが、本来ならば竹島問題にしろ尖閣諸島問題にしろ、自ら毅然たる態度をとりさっさと自力解決すべきなのです。これもまた平和、安全保障の重要課題です。
一人前の国家であれば、最後まで戦争という事態は避けるにしろ、ならず者国家に対し毅然とした姿勢を取りつつ、さっさと対処すべきなのです。矜持もなく弱腰で、ズルズルと拗れたままにしているから、
「日本は無能だ。お花畑だ」
と見られているわけです。相手国にもナメられっ放しなのです。
 
ヒトの社会においても、こういうタイプの方は大抵、問題解決能力のない無能扱いですよね(^^;