インチキ憲法とインチキ民主主義制
当ブログで何度か取り上げた話ですが、日本国憲法には重大な欠陥があります。
そしてその欠陥憲法に基いて制度設計されているので、結局のところインチキ民主主義制が構築されています。
最大の問題は、国会議員のリコール権が存在しないこと、でしょうね。
一方で、納税の義務や勤労の義務、教育を受ける権利(≒教育という名の洗脳を受ける義務)が明記されています。
これはつまり、
「主権者は国民のはずなのに、実質的に政府や国会の方が上」
という上下関係の逆転が生じています。
自治体の首長のように、リコール権があればいいのです。
しかしそれが存在しないため、政治家のやりたい放題となります。ひとたび選挙に立候補し当選してしまえば、民意などそっちのけでやりたい放題。国民に対する政府や国会の義務など、憲法には何一つ書かれていません。
私達一般市民は何も出来ず、呆然としているしかありません。
これこそが日本国憲法最大の欠陥だと幸田は考えます。
「文句があるなら自分が立候補すりゃいいだろ」
とか、
「自分達の意思を反映してくれる人を、選挙で選べばいいじゃないか」
とおっしゃる人もいます。
これも一種のインチキだと言えます。
選挙に立候補するための供託金が高すぎて、誰でも立候補できるシステムになっていないのは、みなさんご存知の通りです。
さらに企業献金が許されているため、ある種の意向を受けた人々や政党、もしくは金持ちでなければ立候補できません。
田舎の選挙など、悲惨なものです。自民党と共産党の候補者しかいない、といったケースはザラですよね。
自分も立候補できない。自らの一票を託す候補者もいない。
白票を投じようが投票そのものを棄権しようが、意思表示とみなされません。これも制度的欠陥だと指摘できるでしょう。
つまり日本という国はそもそも、欠陥憲法をベースに、ハナっからインチキ民主主義国として設計、構築されています。
たまたま欠陥がありおかしくなったのではなく、元々そのようにシステムが構築されているのです。
憲法改正について、9条云々よりもまずこの点を大いに論じるべきだと幸田は考えます。
国民に対する政府や国会の義務の明記、リコール権の明記、個人の意思を反映できる選挙システム、・・・・といったあたりが主たる争点であるべきなのです。
また、解散総選挙だそうです。インチキ民主主義国のインチキ制度は、なおも維持され続けます。
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