縄文土器をつくる(後藤和民著)

2017/05/09インチキ縄文歴史観を粉砕する,休日は読書三昧



 
学術的な本でありながら、非常にアツかった。感動で涙が出そうになりました。
こんな本、初めてです。
 
著者は後藤和民氏。加曽利貝塚の調査や遺跡保存運動、そして加曽利貝塚博物館の立ち上げに関わった方。
 
敗戦時、父親の仕事の都合で半島にいたため、身一つで引き上げてきたそうです。
裸一貫で開拓民となり家計を支えつつ、兄と交互に夜間高校を卒業。そして28歳にして漸く、明治大学に入学し考古学を専攻。筋金入りの研究者です。

著者後藤氏は縄文土器のアマチュア研究家、新井司郎氏と出会います。十年以上かけて数千個製作したという新井氏の土器に感銘を受け、加曽利貝塚博物館に研究員として招きます。
本書はその、土器製作研究のドキュメントです。
 
縄文土器は、良く言えば素朴、悪く言えば稚拙な技術で製作されているという印象を受けます。
最近は各地で子供向けに、縄文土器製作の体験学習教室などが開かれています。ですから益々、
「縄文人は、子供でも作れるようなショボい技術でもって、縄文土器を製作した」
というイメージを抱いてしまいます。
 
しかしこれは、とんでもない認識違いだということを、本書にて思い知らされます。
縄文人は、縄文土器を食料の貯蔵や煮炊きに使用しました。つまり、
 

  • 水漏れしない
  • 焚き火にくべても割れたりしない

 
というのが実用品としての条件なのです。
釉薬を使用せず、素焼きにて水漏れしない土器を作るのは、非常に難しいそうです。
 
まず、重要なのが粘土選びです。
どんな粘土でも良いわけではないのだそうです。新井氏は千葉市中を走り回って各所の粘土を採取し、次々と焼いてみて最適な粘土を漸く探し当てたのだとか。
 
それから腐葉土などの配合割合。粘土の練り具合、時間。
実際に土器を組み上げる技術。内側をならし、外側に模様をつけたり尖底部を削る技術。
乾燥。焼き方。・・・・
 
粘土を整形する際にもたつけば、たちまち表面にひび割れを生じます。
整形後1ヶ月程陰干しし、乾燥させるそうですが、これとて日本には四季があるためコンディションの把握が重要です。油断すれば、これまたひび割れが生じます。
また当然、焼き方も難しい。予め地面を数時間加熱し、また湿気を飛ばし、適切な温度で焼き上げる必要があります。
 
大変なノウハウとスキルを要する、と研究によって判明します。だからこそ新井氏は十年以上もかけて漸く、実用に耐え得る土器製作に成功するのです。
換言すれば、相当な情熱を注いだからこそ、十年そこらでそれを果たすことが出来たのだ・・・・と痛感させられます。
 
多くの貴重なノウハウの確立後ほどなく、新井氏は病死します。
しかしその熱いこころざしは、新井氏の作業を興味深そうに眺めていた子供達に受け継がれ、或いは一般市民に受け継がれます。
真の研究学問とはどうあるべきか、ということを考えさせられました。
 
青森県の大平山元1遺跡にて出土した縄文土器が、現在のところ世界最古とされています。16,500年前のものだそうです。
縄文時代の職人が長年試行錯誤し、世界に先駆けて水漏れしない、煮炊きの出来る土器の製作に成功したのです。そしてそのノウハウが世界に伝わった可能性が高いのです。その証拠に、縄文土器は世界各地で出土しています。
 
竹内文書をはじめとする古史古伝によると、太古の天皇は世界各地に側近を派遣し、或いは自ら世界を駆け回り、多くの技術や文化を伝導したと書かれています。
「そんなわけあるめえ(ワラ) 古史古伝なんざファンタジーだ。でっち上げだ」
と学者先生方は一笑に付し、捏造扱いしています。
 
しかしながら、
 

  • 土器は、実は簡単に製作出来るものではなかった。見かけの素朴さとは裏腹に、大変なノウハウの集大成だった。
  • 全世界レベルで土器製作技術が自然発生した・・・・と考えるのは無理があるかもしれない。
  • 太古の日本における先駆的土器文化が、大きなアドバンスを生んだ。社会、及び社会思想も、世界に先駆けて進歩した
  • 海洋国家でもあった縄文人こそが、それらを世界に伝えた
  • だから世界各地(西は中国やインドやアフリカ、東はポリネシアや南米など)で縄文土器が出土している。

 
・・・・という可能性も、決して小さくはないと考えます。
奇しくもこれは、古史古伝的世界史観の裏付けになっているのではないでしょうか。
 
非常にアツい本を読みつつ、そんなアツい歴史を想起させられました。