いつか来た道!? 「現在の日本は戦前戦中とそっくり」 - 中編
前編より続きます。
日本は一貫して「防衛側」である
日本は幕末以来、
「欧米列強の帝国主義から東アジアを如何にして防衛するか」
という課題を掲げて、富国強兵、殖産興業に力を注いできました。
敢えて繰り返しますが、あくまで「防衛」なのです。
日本は地政学上、単独での防衛が困難です。ですから清、朝鮮と連携し東アジアを守ろうと考えました(それが叶わなかったのは皆さんご存知の通りですね)
一方で欧米列強と表面上は友好的に付き合っていましたが、本質的には、
「利害の対立する、潜在的な敵」
でした。
これまた強調しますが、欧米列強こそが一貫して、
「帝国主義に基づく侵略者側」
であり、日本は一貫して「防衛側」なのです。
この構図を、学校の歴史教育で曖昧にしているため、日本人は自国の歴史が解らなくなっているのです。由々しきことだと思います。
根本対処を怠れば、問題はいずれ決定的な形で表面化する
明治維新の頃は、日本の国力が極めて低かったため、そういう構図が表面に現れませんでした。
ところが日本の近代化が進行し日清戦争に勝利したあたりから、対立構図が次第に表面化し始めました。
三国干渉などがまさにそうです。
日本が、防衛戦略上重要な拠点の権利を得ると、列強はケチをつけてそれを奪う。なぜ、彼らは日本にケチをつけてきたのか。彼ら自身が利権を得たいからです。
そのくせ自分達が第一次世界大戦を引き起こすと、
「我々のアジア利権を、我々に代わって守ってくれ」
と、日本に保安を依頼する(^^; 英国に至っては、
「同盟国なんだから助けてくれ。欧州に派兵し対戦に参加して、我が国に協力してくれ」
などと同盟規約外の要求をしてくる。
「日本の国力ではとてもムリだ」
と拒否すると、逆恨みする(^^;(^^;
こうして欧州勢力との利害の対立が、次第に明確になってきます。
これは、そもそも出発点からして対立の構図になっているのですから、なんの根本対策も施さなければいずれは衝突に至るわけですよ。
その衝突こそが、パリ講和会議における、日本の「人種的差別撤廃提案」でした。
これは欧米列強の帝国主義に反旗を翻すものでした。欧米列強はこの時、日本を明確に「敵」とみなすようになりました。
アメリカとの対立
学校の歴史教育において、アメリカとの対立構図について詳しく語られることがありません。
なぜなら日教組が、、
「米ソを悪しざまに言ってはならない」
という教育方針を持っているからです。教科書採択基準に、
「米・ソ両国について先入観を植えつけるような取り扱いはないか」
という箇条が存在します。
これは非常によろしくないことだと幸田は感じます。
先入観も何も、悪いことは「悪い」とハッキリ教えなければならない筈です。そうでなければ何も学べません。
アメリカとの関係は、ご存知の通りペリー来航から始まります。
幕末、アメリカはペリー艦隊を日本に派遣し、開国と通商を要求しました。そして他国に先駆けて和親条約や通商条約を締結することに成功します。
大砲をぶっぱなしての恫喝外交です。友好的、協調的な外交スタイルではなく、半戦闘行為です。
アメリカとの外交というのは、この出発時点で既に、
「日本と対立の構図が潜在していた」
と知るべきです。
その後アメリカでは南北戦争が勃発し、国内問題に忙殺されて帝国主義レースから後退します。
だからこそセオドア・ルーズベルトは日英に恩を売り、再度帝国主義レースに復帰しようとします。
これこそが日露戦争における「ポーツマス条約」の仲介、でした。
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