野方遺跡を見物 - 後編
前編より続きます。
福岡市西区の野方遺跡(縄文~弥生~古墳時代前期の複合遺跡)の、弥生時代住居跡を見て感じたこと。
- 古代日本人は、数千年にわたり定住生活をおくっていた。
- 定住なので、今日で言うテントのような、簡素、簡易住居である必要がない。むしろ長期間使えるような、しっかりした住居を建築したのでは?
- 住居跡の広さ、柱穴の位置や数から想像するに、天井は結構高い。各地の遺跡で見かけるような、小ぶりで貧素な竪穴式住居の上モノはホントなのか?
- 父母兄弟でそれぞれ別棟に住むなら、広さも充分ではないか。
そうそう。彼らの住居を、なぜ竪穴式住居と呼ぶのか。幸田は以前から気になっていました。
調べてみると、要するに地面の部分が他国に見られる竪穴式住居と全く同じ構造なので、「日本の住居跡も同じタイプだろう」という判断なのだそうです。
ただ他国の住居跡と若干異なり、日本の住居跡の場合(北海道の縄文時代住居を除き)それほど深く掘っていないため、「竪穴」という呼称に違和感があったのだと判明。便宜上、他国の名称に合わせただけですよ、と。・・・・
なるほど。
しかし、それで解決と認識して良いのでしょうか。幸田はもう1つ、気になっていることがあります。
即ち、
「竪穴式住居で寝起きしていて、もし雨が降ったらどうなるのか」
と・・・・(^^;
住居の周囲に溝が掘ってあるわけでも、逆に土手が築かれているわけでもありません。
ですからちょっとした雨が降っても、途端に住居内が水浸しになりそうな気がするんですよね。
わざわざ床を掘り込んであるのだから、当然水が溜まります。屋根や壁で覆われていたら、簡単には水がはけない筈です。
いやそれ以前に、そもそもが高温多湿の環境だから、地中の湿気だって上がってきて住居内に充満する筈ですよね。しかも冬になれば、(温暖な縄文時代ならともかく)弥生時代なら床が凍結しそうなものです。
そんな住居でまともに生活できるのでしょうか。
つまり、他国と同様の、いわゆる世界標準の竪穴式住居だったのか?、という疑問が残るのです。
高温多湿でそこそこ雨の多い日本で、他国と同じコンセプト、同じ建築方法で住居を造っただろうか、と。・・・・
- なぜ、浅いとはいえ竪穴を掘ったのか。雨の流入や湿気対策はどうしていたのか?
- 周囲に排水用の溝が掘られていれば、雨の流入はある程度防げると思うが、そういう痕跡はない。なぜか?
- あるいは住居周囲に土手でも築けば、雨の流入はある程度防げると思うが、そういう痕跡もない。なぜか?
- 床面にワラでも敷き詰め、こまめに入れ替えれば雨や湿気対策は可能。しかし本格的な農耕が始まる弥生時代以前に、充分な量のワラが確保できたとは思えない。
- この問題が解決しない限り、古代日本の竪穴式住居は住まいとして成り立たない。旧石器時代の洞穴住まいより、劣悪な住環境と言うべきではないか?
素直に考えれば、床は「掘る」のではなくむしろ「盛土」して地面高より高くすべきなのです。
しかしそうなっていないということは、つまり今日の住宅同様、床板を地面より少し上に張り渡すなどの、技術的な解決策があったと考えるべきではないでしょうか。
幸田なりの、結論。
世界標準の竪穴式住居そのままでは、日本の環境だと通用しないのです。
縄文時代以来数千年もの間、雨が降る度不便、不快な思いをしつつ何の工夫もしないまま、ひとところに定住していたとは考えにくいのです。世界標準の竪穴式住居をベースに、何らかの独自の工夫を凝らしていた筈なのです。
縄文人弥生人は、学者先生方が考える以上に高度な建築技術を持ち、今日私達が抱いているイメージ以上に快適な生活をおくっていた筈なのです。
そう考える方が自然だ、と幸田は思うのです。例えば床面にウッドデッキのような物を構築していた、とか。
しかし仮にそうだとしても、木材は今日朽ち果てて完全に消失しますから、発掘調査ではそれが判明しないだけではないでしょうか。
古代日本は1万年以上にわたり、食に恵まれ争いのほとんど存在しない「ユートピア」でした。
教科書には全く書かれていませんが、古代日本人はそんな中、極めて高度な文化を発展させてきました。
世界で一番早く、磨製石器を考案しました。
世界で一番早く、土器を発明しました。土器に食糧を詰め、遠方へ旅することが可能となりました。
交易を行い遠方から黒曜石を手に入れて、鉄製品よりも切れ味の鋭い刃物を作り使用していました。
世界的に見てもかなり早い時期から、果実酒を作り、漆器を作り、織物技術を磨いてきました。
そんな古代日本人が、数千年もの間、小ぶりで貧素な竪穴式住居しか作れなかった、ずっと不便不快な生活に甘んじていた、と学者先生方は曰うのです。劣悪な住環境に家族で生活していた、と。・・・・
そりゃ変だ、と思いませんか!?
実際に住居跡を眺めつつ、幸田はますますそういう思いを強くしました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません