魏志倭人伝の謎が解けた!!, 改めて魏志倭人伝を読み解く ー 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす

本日、25本目となる動画をアップした。
是非ともご視聴頂きたい。
 
掲題通り、テーマは「【改めて魏志倭人伝を読み解く】Vol.2 政治力学視点で見る「本家ヤマト」 - 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす
 
邪馬台国は「ヤマト」
これは昔から判明していた。それを戦後の左派学者共が捻じ曲げた。
しかし畿内ヤマトは、卑弥呼邪馬台国――女王国――ではない。なにしろ魏志倭人伝記述と方角が全く異なるので。
 
ならば、卑弥呼邪馬台国は一体どこなのか。
 
既に存在していた畿内ヤマト。卑弥呼が魏朝と国交を結んでも、妨害も出来ず横槍も入れられず、指を加えて見ているしかなかった。
畿内ヤマトにとって、そんな勢力とは、何だったのか。
 
卑弥呼邪馬台国問題は「政治力学的視点」で考察する必要がある。
そしてそこに浮かび上がるのが、「本家ヤマト」の存在だった。
 
というわけで、是非とも少しでも多くの方々にご覧頂きたい
 

2019/02/01魏志倭人伝の謎が解けた!!

前編より続きます。
 
 
展示物を眺めていると、いろいろと疑問が湧きます。
 
例えば様々な、鉄器の出土品が並んでいました。
「○○遺跡で出土。弥生時代中期」
などと、プレートに書かれています。
 

  • 弥生時代中期というのは、どのように判断しているのだろうか? 推定なのか、それとも何らかの調査の結果なのか?
  • 場所が九州北部だけに、国産なのか輸入物なのかが気になる。

2019/02/01魏志倭人伝の謎が解けた!!

伊都国歴史博物館とやらがある、と知り、早速行ってきました。
 

【伊都国歴史博物館】
http://www.city.itoshima.lg.jp/map/020/05/s05.html

 
行ってみてびっくり。
「福岡県糸島市の三雲・井原遺跡周辺は、魏志倭人伝に記載のある『伊都国』王都であることが確定的となり、平成29年10月に国史跡の指定を受けた」
だそうです。
 
おいおいおい(^^;

2017/05/09魏志倭人伝の謎が解けた!!

その5より続きます。
 
 

神武天皇は紀元前1世紀に宮崎を発ち、畿内へ向かった

神武東征の出発点、即ち神武天皇カムヤマトイワレヒコの本拠地は、日向国ということで間違いないと思います。
記紀にもハッキリとそう書かれていますし、宮崎には多数の神武伝承が残っています。また考古学的成果からも、太古の日向国が大きな軍事行動を起こせるだけの強大な国力を有していたことが明らかです。

2018/02/03魏志倭人伝の謎が解けた!!

その4より続きます。
 
 
というわけで、幸田説(笑)によれば邪馬台国は、現在の宮崎県宮崎市です。
 

【幸田蒼之助の休日】 2014/11/24
“邪馬台国は宮崎にあった!!”

https://offtime.sohnosuke.com/?p=10404

 

邪馬台国は宮崎県宮崎市ではないか!?

古神道の方々や、邪馬台国宮崎説を唱える数々のアマチュア研究家の方々は、
「邪馬台国は現在の西都原古墳群(宮崎県西都市)付近だ」
と主張されています。
しかし幸田は敢えて、宮崎市説を提唱します。

2017/03/11魏志倭人伝の謎が解けた!!

その3より続きます。
 
 

邪馬台国は宮崎平野だ!!

さて、地図③の邪馬台国は、起点①の伊都国から「南へ水行10日、陸行1月」です。
「南へ水行10日」は、有明海を岸伝いに南下、でほぼ間違いないでしょう。そして天草を抜け、おそらく現在の熊本県八代市辺りに上陸したと思われます。
 
続く「陸行1月」というのは、上陸地点八代市付近から人吉市~宮崎県えびの市~小林市~宮崎平野という霧島連峰越えのルートを辿ったのでしょう。現在そのルートを九州自動車道~宮崎自動車道が通っています。

2017/02/14魏志倭人伝の謎が解けた!!

その2より続きます。
 
 

伊都国は佐賀平野だ!!

そこで一旦、伊都国、奴国、不弥国比定地の定説を念頭から消し去りましょう。
で、改めて地図を眺めます。
魏志倭人伝の記述によれば、
「末廬国(長崎県唐津市付近)から東南に500里」
だそうです。通説に従うと「1里=約80m」らしいので、「500里=約40km」です。
 
するとどこに辿り着くでしょうか。何と佐賀市、小城市付近なのです。
あの有名な吉野ヶ里遺跡のある、佐賀平野。・・・・
なんとなく、納得出来ると思いませんか!?

2017/02/05魏志倭人伝の謎が解けた!!

その1より続きます。
 
 

奴国 ≠ なこく

しかし、「奴国」の読みが「なこく」でないとしたら、どうでしょうか。
実は漢朝にしろ魏朝にしろ、漢音なのです。ですから「なこく」と読む筈がない(!!) 正解はおそらく、「どこく」もしくは「とこく」なのです。
となると、「那」という地名との関連性が根拠を失います。
 
「まあ、でも金印が出土してるじゃないか」
とおっしゃる方も、いることでしょう。
しかし金印は持ち運び可能ですから、金印が出土したからと言ってそこが奴国であるとは言い切れないわけですよ。
誰かが盗み出して、こそっと埋めたのかもしれませんよね(笑)

2018/01/17魏志倭人伝の謎が解けた!!

わははは。
なんつーか、実は凄く簡単な話でした。
 
いざ解けてみると、全てが「納得」です。ややこしい数学の問題を解き、スッキリ感を味わいつつ、
「うん、これで絶対合ってるはず♪」
と自然に確信する時がありますよね。あんな感触を味わっています。
 
陳寿の著した「魏志倭人伝」の記述は、意外にもかなり正確でした。
地図を眺め、考古学情報を連想しつつ、キレイに(!?)腑に落ちます。
記者会見でも開いて発表したい気分です(笑)

2017/02/01魏志倭人伝の謎が解けた!!

昨日の記事のおまけです。
 
比較的近所に、好きな場所があります。
上野原遺跡、といいます。鹿児島県霧島市にある、広大な縄文~古墳時代の複合遺跡です。
キレイに整備されています。居心地の良い、安らげる場所です。