“歴史学者共、ちゃんと仕事しろ!! ― 後編”のおまけ、として書くつもりだったが、結局YouTube動画としてアップした。
是非、ご視聴頂きたい。
動画は文章と違い、後から見直しても訂正に手間がかかる。
……というより完全に作り直しとなるため、訂正が容易ではない。
表現が少々微妙だったり、適切でないなと感じても、文章のように簡単に修正できない。
動画作成自体が未熟であるという点も含め、お詫び申し上げます。
というわけで、動画内で強調が足りなかった点。――
【動画】復元竪穴住居は全くのインチキ!!
吉野ヶ里遺跡の復元住居は「インチキ」だ!!
連日、近所の弥生遺跡と佐賀県吉野ヶ里遺跡を見学してきた。
まず、以下の画像。福岡市西区にある、野方遺跡の竪穴住居写真である。時期は弥生後期。つまり、概ね卑弥呼邪馬台国の時代の住居遺構だ。
日本における縄文、弥生の竪穴住居は、ほぼこういった床構造しか判明していない。上モノは全部朽ちて、残存していないためである。
この床構造だけを見れば、世界中の住居跡とほぼ同一なので、世界の例に倣い竪穴住居と呼んでいる(とはいえ現在、日本では「竪穴建物」と呼び改められつつあるそうだが)
雨が侵入する住居は住居と呼べない ー 復元されたインチキ竪穴住居
昨日は祝日だったので、運動を兼ねて自転車で板付遺跡を往復した。
一番の目的は、復元された竪穴住居を見ること。近場では板付遺跡にしか無いらしいので。
復元された竪穴住居はインチキ
なぜ、幸田は竪穴住居が気になっているのか。
過去にも書いたが、幸田は学者先生方がイメージする、縄文~弥生時代の竪穴住居について全く信用していない。
「あの形状であれば、ちょっと雨が降れば住居内にドカっと雨が侵入し水浸しになる。つまり住居として用を為さないではないか」
と考えるからである。
復元された竪穴住居は、実際に雨が侵入するのか……を確認したかった。
吉野ケ里遺跡に行ってきました
4月6日(2019年)、吉野ケ里遺跡に行ってきました。
快晴。桜満開。気温も程よく、最高のコンディションでした。
20年以上前に行ったことがあるんですけれど、当時とまるで様子が異なりますね。
以下、色々と感じたことを書き並べてみたいと思います。
佐賀平野こそが「伊都国」
幸田は、この吉野ケ里遺跡付近こそが「伊都国」だろうと思っています。