高千穂って地名は2ヶ所あるんですよ~
高千穂、という地名があります。天孫降臨の地として有名です。
幸田が宮崎出身だと知った人が、高千穂の話を振ってきます。
「どっちの高千穂ですか?」
と聞き返すと、大抵不思議そうな顔をします。
そうです。宮崎には高千穂という地名が2つあるのです。宮崎県人はともかく、一般の人々には(2ヶ所あることは)あまり知られていないようです。
1つは宮崎県北です。延岡市から九州山地の中へと向かうと、熊本県との県境に近い位置にあります。有名な高千穂神社や天岩戸神社がある辺りですね。
それからもう1つは宮崎県南にあります。
2011年に噴火した新燃岳は、霧島連峰の1つですが、この霧島連峰の中で2番目に高い山を「高千穂峰」といいます。
県北の高千穂には天岩戸神社があります。かたや県南の高千穂峰には、天の逆鉾があります。どちらがホンモノの、天孫降臨の地でしょうか。
両者は直線でざっと100km以上離れています。両者を同一の地とみなすのは無理があります。
最近久々に、古事記を読みなおしています。・・・・と言っても原文ではなく、鈴木三重吉著「古事記物語」ですが(^^;
古事記を読むと、高千穂の謎は実にあっさり解けました。
高天原というのは、天上界にあります。
天上界から鉾で地上を掻き回して島々を作り、それを突き刺したのが県南高千穂峰の「天の逆鉾」です。
さらにそこから時を経て、ニニギノミコトが天上界から霧島連峰に降り、連峰の1つである韓国岳(からくにだけ)を経由して宮崎平野に至ったようです。つまり天孫降臨の地とは、県南の高千穂峰ということになります。
では、県北の高千穂は何なのでしょうか。
これも古事記に答えらしきものが書いてありました。即ちニニギミコトの子で、海幸彦山幸彦伝説として有名な山幸彦(ホオリノミコト)が、高天原を模して高千穂の宮を造宮したそうです。
これが県北高千穂かもしれません。その後の神武東征に至る諸事情、諸条件にも合致します。
・・・・とまあ、いろいろ調べているうちに、それらのルートをトレースしてみたくなりました(笑) ヒマとお金があれば、一度やってみたいものです。
追記:
福永武彦氏の古事記口語訳によれば、
「筑紫の日向にある、噴煙絶ゆることのない高千穂の峯に天降った」
とあります。つまり県南(正確に言えば鹿児島との県境)の高千穂峰(霧島連峰)で確定ですな。
また、同じく日本書紀口語訳によれば、
「日向の、霊妙な高千穂の峯に天下り・・・・」
とあります。やはり「峯(山頂)」という表現です。
県北の高千穂は、峯(山頂)というより山間部です。ですからやはり、県南の高千穂峰に軍配が上がります。
かつ、降り切って到達した場所というのが、記紀の記述を読む限り現在の宮崎市っぽいんですよね。
県南の高千穂峰から、素直に東に下ってきたのでしょう。
つまり我々現地民からすれば、これは論争にすらなりません(笑) 自明の理、です。
学者先生方って、一体何をやっているのでしょうか(^^;
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