戦後日本の「焚書坑儒」


 
現在、古代史の本の原稿を書いています。
様々な資料に目を通しているうち、たまたま「漢委奴国王」金印の写真が目に止まりました。
 
子供の頃を思い出します。学校では、
「漢の倭の奴国の王」
という解釈を習いました。
或いは、
「漢の委奴(イト)国の王」
という説もある、と。・・・・
 
今頃気付きました。「漢の倭の奴国の王」という、歴史教科書におけるスタンダードな解釈は、明らかに「歴史の意図的歪曲」ですよね(^^;
なぜなら「倭」じゃなくて「委」ですから。「にんべん」が抜けてますって(笑)

学校では習いませんが、「倭国」という名称、実はなんと3,000年前あたりから使用されていたようです。漢書地理志によれば、
「周の太伯の代の後、倭人が手土産抱えて挨拶にやってきた」
と書かれています。
 
つまり紀元前10世紀頃から、我が国の時代区分で言うと縄文時代晩期頃から、古代中国のいわゆる公用語として「倭国」という国名が通用していたわけです。
中華思想に基づく侮蔑のニュアンスはありますが、一応「けものへん」ではなく「にんべん」付きの、「倭国」という国名が対外的に存在したわけです。
 
にも関わらず、金印を製造する際に、
「にんべんを抜かしてしまう」
というマヌケな間違い(笑)を冒すでしょうか!?
 
・・・・続きは延岡こども未来研究所でどうぞ。