歴史の本を読んでいて呆れてしまった

歴史ってすっげ~面白い

寝床に入って歴史の本を読んでいたら、段々腹が立ってきて(笑)、睡眠不足気味だというのに目が覚めてしまいました。
 
最近、「日本の歴史を、改めて通して読んでみたい」と思い、とりあえずガキの頃から知っている中公文庫「日本の歴史」シリーズを読み始めたのです。
 
第1巻が神話と古代史。井上光貞氏の著書。
テキストとしては古いし、いろいろと引っかかる点はありましたが、まあ概ね納得して読めました。

第2巻、飛鳥時代。直木孝次郎氏の著書。
いやもうびっくりです。あちこち悪意に満ちた表現に満ち溢れているのです。
いわく、
「聖徳太子は当時の国際情勢を熟知していて、隋国の強大さを知った上で『つつがなしや』などと対等を装った。大いに背伸びした」
という具合。
外交戦略っちゅー言葉を知らんのか、と(^^;
 
あるいは、いわく、
「数百人の武人をかき集め、隋国煬帝の答礼使、裴世清を歓迎した。精一杯のデモンストレーションを行った」
と。
万単位で海外派兵できる程の力を持つ大和朝廷が、たかだか数百人を揃えただけで、なぜ「精一杯」なんですかねえ(^^;
 
直木孝次郎氏は生粋の日本人ですよね。なぜ、自国の歴史をここまで厭味ったらしく表現できるのでしょうか。
 
そういう調子なので、途中で読む意欲をなくしました。
で、某大学の講師を務める同級生に「他にお薦めのテキストはないか」と相談したところ、
「講談社のシリーズが良いかもしれない」
との回答。ならばと早速入手し、読み始めたのが本日の話。
 
第0巻、「日本」とは何か。網野善彦著。
なるほど、「日本は断じて単一民族国家などではない」とか「閉鎖的な島国などではない」といった問題指摘は面白いな、と思いつつ読み始めました。違うとわかっていながら、日頃ついついそういった固定観念にしばられてしまい勝ちですよね。
 
ところが、
「日本国という呼称は7世紀に初めて使用されたので、日本のスタートは7世紀だ。『縄文時代の日本人』や『弥生時代の日本人』という表現はおかしい」
と、あたかも自国の歴史を矮小化するような持論の展開が始まります。
呼称をいつから使い始めようが、民族が入れ替わったわけでもなければ国家の断絶があったわけでもない以上、7世紀以前から一貫して日本人は日本人ですよね。
 
さらに読み続けると、
「日本各地に海夫(かいふ=海部)という人々がいる。韓国済州島に海女がいる。つまり海人文化が半島から九州北部、瀬戸内海、中部地方、関東と伝わってきた」
などという持論展開があるわけです。
 
済州島の海女文化って、最初に文献に登場するのは17世紀だそうです。
対する日本は、魏志倭人伝に素潜り漁の記述があるんですよ。つまり卑弥呼の時代です。3世紀です。
海人文化がどちらからどちらに伝わったのか、自ずとわかるってもんですよね。・・・・
 
これだけではないのですが、網野善彦という先生は色々と新たな視点の提起をしている一方で、
「文化は常に半島(或いはその他の国々)から伝わって、日本に入ってきた」
という、いわゆるネガティブな思考に凝り固まっていて、ろくに持論の検証もしていないと言えるのではないでしょうか。

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