コメ神話よさらば!! - 前編
コメ神話に基づくインチキ経済史観
コメを含めた穀類は縄文前期から栽培されていた形跡がありますが、あくまで非常食代用食という位置づけに過ぎません。
「コメ=主食」
といった概念は今日のものでしかなく、古代においては通用しないのです。
だからこそ縄文時代には、農耕のウェイトが高まらなかったと推測可能です。
「文化的に遅れていたから農耕がなかったのではなく、農耕の必要性が低かった」
と言えます。
そして地球気温が下がり始めた弥生時代頃、食糧事情の悪化に伴ってようやく、大規模な農耕が始まります。
動物性タンパクが容易に手に入らなくなったため、
「やむなく多大な労力を費やしてでも農耕を行う必要が生じた」
というわけです。
気候変動に対応し陸稲から水稲に変化します。大規模な灌漑設備を構築し、熱帯や亜熱帯環境を擬似的に作る水稲耕作が大々的に展開されるようになりました。
弥生農耕文化が縄文文化に優っているわけではない
まとめます。
- ヒトは類人猿時代より、動物性タンパクをメインに摂取してきた。
- 縄文時代は気候が温暖で、動植物や魚介類に恵まれた『食のユートピア』だった。
- 原始農耕は縄文前期において既に始まっていた痕跡がある。
- しかし『食のユートピア』だったため、多大な労力を要する農耕はほとんど必要なかった。
- これは全国の遺跡の考古学調査により、数千年単位で定住していたことや、戦闘によって負傷した人骨がほとんど出土していないことから明らかである。
- 争いもなく、移住の必要もなく、最低限の労力で食料を確保できることから、高度な文化を育む条件が整っていた。
- これは織物や編物、高度な技術を用いた漆器、用途に応じた多彩な土器、大型木造建築物等の考古学的成果物によって明らかになりつつある。縄文晩期には既に、大規模な鉄器の生産も行われていた。
- 地球気温の低下に伴い、弥生時代へと移行。食料が乏しくなり『やむなく』大規模農耕が始まる。
- 大規模農耕の必要性から、労力の増大が生じる。
- 食料の不足と、農耕社会への移行による権力の発生により、戦闘が生じる。
- このため弥生時代は縄文時代と比較し、むしろ『豊かさの後退』や『文化の簡素化』が見られる。
「縄文時代は農耕すらない、極めて原始的でショボい時代だった」
という歴史観は大ウソなのです。
「大陸や半島から農耕を始めとする各種の高度技術がもたらされ、弥生時代へとステップアップした」
という歴史観は大ウソなのです。
そしてそれらのインチキ歴史観は、現代日本人の「コメ神話」を基にして巧みに構築されています。
コメ神話にとらわれることなく歴史を眺めれば、真の歴史が見えてきます。
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