梅雨入りしない福岡と「古代天文学」

歴史ってすっげ~面白い

6月も下旬となりました。
例年ならば、ここ福岡もとっくに梅雨入りしているタイミングではありますが、依然晴れの日が続きます。
 
九州南部は6月5日に梅雨入りし、その後九州北部の梅雨入り宣言をすっ飛ばして、さらに東の東海地方より向こう側が先に梅雨入り……という有り様。
天気が良いのは非常に有り難いんですけれど、福岡は水不足に陥りやすい土地ですのでちと心配です。
 
自然現象たる季節は、毎年概ね同じように巡ります。梅雨もまたしかり。
されど半月そこらのズレなど誤差の範囲。自然のサイクルなんてものは、アバウトなものです。

ところでおっさん幸田がガキの頃……というのはざっと30年以上前なのですが、学校の授業で、
「エジプトでは毎年、ナイル川の氾濫が起きる。そのタイミングを正確に把握し種蒔きを行う必要性から、天文観測が行われ暦が作られた」
と教わりました。つまり、
「(主に)農業のために、天文学が高度に発達した」
というわけです。
 
ホントでしょうか!?
 
単に農業目的であれば、「365日=1年」というサイクルを知れば良いだけの筈です。
季節のサイクルなど、今年の梅雨入り宣言を見ても解かるようにアバウトなものです。365日というサイクルさえ判明すれば、あとは日数を指折り数えつつ天候気候を眺め、経験則で種蒔きや刈り入れのタイミングを読む。それで充分です。
 
ということは、春分と秋分を観測し、それを基準に日を数えれば事足ります。天文学などと呼ぶような、大仰な研究成果は不要でしょう。
 
しかし古代には、何故かもっともっと高度な天文学があったようです。
 
エジプト文明に先んじた古代メソポタミアにおいては、
「星々って夜空にランダムに出現するんじゃなくて、ちゃんと毎日規則正しく出現してるぞ」
と気付き、さらに、
「法則通りに天球を移動してるっぽいぞ」
と気付いて長年その動きを観測しているのです。その末に、極めて高度な天文学知識を得ているんですよ。
 
それどころか、何万年も観測データを取り続けなければ知り得ない筈の、「歳差運動」なんてものにまで気付いているんですよね。
さらにさらに。――
驚くべきことに、我々現代人だって20世紀中盤以降になり漸く知り得た、天王星や海王星の外観なんかを既に知っていたんですよ。
これは数々出土しているシュメールテキスト(楔形文字粘土板)から判明しています。
 
どゆこと!?(^^;(^^;
 
つまり、
「農業ニーズから暦が必要で、そのために天文学が発達した」
という学校教科書の記述は、明らかにおかしいんです。貧弱な想像力に基づく、と言わざるを得ません。
いや、そもそもの出発点はそうだったのかもしれませんが、メソポタミア文明やエジプト文明の時代は既に、その天文学レベルを遥かに凌駕しているわけです。
 
色々、謎ですね。
客観的に言って、当時の文明レベルを超越しています。
 
絶対に、メソポタミアやエジプト文明に先んじて、何万年もの長期間にわたり天体観測が行われていた筈なのです。
どうやって精密な観測が為されたのでしょうか。そのデータはどうやって、どこに残されたのでしょうか。
いや、観測期間はもっと短かったのかもしれません。しかしそうだとすれば、天体の軌道計算を行う高等数学が必要でしょうし、なんならコンピューターだって必要でしょう。
そのどちらにせよ、当時の文化レベルを考慮すると完全にオーバーテクノロジーです。
 
そもそも、幸田はこれまで何度か指摘していますが、古代文明においては日時計しか存在しないことになっています。
日時計ってのは当然、日中しか使えません。日中であっても雨天時は使えません。
しかし夜間に天体観測を行うとなると、日時計じゃお話にならない筈なんです。毎日決まった時刻に観測する必要があるわけで、まずは正確な時刻を知る時計が必須でしょう。
 
また、天球上の正確なプロットを測定するためには、それなりの測定器具が必要でしょうね。
例えば古代中国には、渾天儀という天体観測器具があったと言われています。随分と大きな器具です。
古代メソポタミアやエジプトには、それに類する天体観測器具が存在したのでしょうか。現在のところ、そういった証拠は見つかっていません。
 
繰り返しますが、
「(主に)農業のために、天文学が高度に発達した」
という学者先生方の説は、お粗末過ぎてチャンチャラおかしい。ショボ過ぎます。
シュメール・テキストに残る高度な天文学知識を見る限り、そういう推測には至らない筈なんです。 
またメソポタミアやエジプト以前の、高度な人類文明の存在を推測して然るべきなのです。
 
或いは、誰かに教わったのかもしれませんね。長年にわたる天文観測の証拠が、何一つ残っていませんから。
その一方で世界中に、
「天から光る物体に乗った神が降りてきて、我々に知恵と技術を授けてくれた」
という伝承が残っているのです。
 
ということは、(人類自らの力で獲得したのではなく)神から教わった、と考える方が素直かもしれません。
21世紀の歴史学考古学は、そういう可能性をも考慮すべきだと幸田は思います。
 
福岡の梅雨入りは、もう少し先の事となりそうです。

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