04. 「人生のレールがわずか1本」 何かがおかしい

2013/01/28「生き方」についてもう一度考える

線路は続くよどこまでも

よくよく考えてみれば、教育システムにおいてレールが1本しか敷かれていないということは、極めて恐ろしい事だと感じます。
 
ほぼ全員、「雇われる側の人間」として生産加工され、数十年にわたって社会に供給され続けているわけです。
とんでもない「共産主義国家」ですね(笑)

過去において「企業戦士」だとか「モーレツ社員」という言葉が流行りました。「雇われる側の人間」だけが過剰に供給され続けた社会的土壌が生んだ、流行語だと言えるでしょう。
客観的にみれば、相当にいびつな社会です。
 
アナタは常日頃、会社内においていろいろと非合理的な面、不条理な事柄を見聞きしていると思います。
非効率的だなと感じる事柄や、うまくかみ合わない人間関係に気を揉むこともあると思います。リーダーたる経営者や管理者の能力に、疑問を持つこともあると思います。
 
そんなアナタが、不幸にして会社を辞めることになりました。
どうしますか?
失業給付を貰いつつ、ハローワークに通い、新たな職を探しますよね。
さんざん、会社組織の短所や欠点を知りつつも、再び、雇われる側の人間になる努力をしますよね。
給与等の待遇がランクダウンしても、サラリーマンであり続けようとしますよね。
 
「よし、これも1つのチャンスなのだろう、別の人生を切り拓こう」
と一念発起する人は非常に少ないと思います。
まあ、こういうきっかけから起業する人は、準備不足で大抵失敗しますが。・・・・
 
 

多様性に欠ける脆弱な社会「日本」

結局いつまで経っても、雇われる側の人は減りません。サラリーマン社会は持続します。
なので、資質や能力に問題のある企業経営者が、いつまでもその座に胡坐をかいています。それこそ倒産でもしない限り、もっと優秀な人材に置き換わることがありません。
こうして、新陳代謝が次第に悪化しつつ、日本社会が持続しているのです。民間企業に限らず、公的組織まで含め、制度疲労が進行しているわけです。
 
要するに、人々の認識する人生設計、人生観が1本しかないということは、社会を構成する人々の、
多様性に欠ける
ということです。
だから日本は弾力性に乏しい、脆弱な社会になり果ててしまったと言えるでしょう。
 
そんな社会に、将来はありません。アナタ個人にとっても、じり貧です。
 
アナタが現在歩んでいるレールは、そもそもアナタにとって、本当に望ましい方向を目指しているのでしょうか。
別のレールに乗り換える、という選択が、実は存在するのではないでしょうか。
「雇われる側の人間」というレールしか見当たらないのですが、どこかに他のレールは隠れていないのでしょうか
 
或いは自分自身の力で、全く新たなレールを敷設するのも、面白い生き方です。
「幸せを追求する」
「そして愛する周囲の人々を幸せにする」
「少しでも多くの人々と幸せな関係を築く」
という自由なレールを敷設するのです。やり甲斐、生き甲斐に満ちています。

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