古式ゆかしい趣のある言葉をばんばん使って「よりよい現代社会」を実現しよう(笑)
通史の続編を執筆中です。そのため記紀をはじめとする古史古伝、及びそれらの関係資料を読み漁っています。
調べているうちに、意外なことにいろいろと気付きました。
例えばまず、日本書紀。
- 正史として一定の信頼があり、古代史の大半は日本書紀に依存している。
- しかしながら、原本は現存していない(西暦720年にリリースされた時の記述と完全に一致している、という保証がどこにもない)
- 現存する写本の表紙タイトルには「日本紀」と書かれおり、間に「書」という文字が挿入されている(笑)
- ホントにこれが、720年リリースの正史の写本なのか。
という具合に、アバウトなものなのです。
いや、まあそれでも日本書紀に関しては、長年朝廷が管理、継承してきたわけであり、それなりに信頼できるものだとしましょう。
問題は、古事記です。
- 西暦712年に古事記という歴史書がリリースされた、という記録がどこにも残っていない(古事記自身の序文にそう書いてあるだけ)
- 原本は現存していない。最古の写本でさえ、リリースから650年後(南北朝時代)のもの。
ということで、長年真贋論争が続いたそうなのです。
歴史資料としての信頼性を裏付ける客観的証拠が存在しないにもかかわらず、それらが今日のアカデミズムにおいて、
「概ね正しいのだろう」
と信頼されている一方で、その他の古史古伝、すなわち、
- 竹内文書
- 先代旧事本紀72巻本(大成経)
- 九鬼(くかみ)文書
- ホツマツタヱ
- 上記(ウエツフミ)のソースとなるサンカの古伝
などは一律偽書扱いし、ほとんど無視されています。
謎の文字で書かれている、とか、内容がオカルトチックで噴飯モノだから、とかいった理由で。・・・・
学者先生方によれば、日本には漢字伝来以前に、独自の文字は存在しなかったそうです。
ではなぜ、古い神社などに、神代文字と呼ばれる様々な古代文字が残っているんでしょうね(笑)
伊勢神宮には歴史上の有名人の奉書が多数残っています。阿比留草文字などの神代文字で書かれています。それらをどう説明するつもりなのでしょうか。
内容がオカルトチックだから偽書だ、後世捏造されたものだ、というのであれば、古事記や日本書紀も同じことですよね。
日本の歴史は大変古いのです。
記紀以前にも様々な歴史書が存在した、というのは確かだと思われます。そういう記録がちゃんと残っています。元明天皇が諸歴史書を排除した、という記録も残っています。
それらは元々、埴簡(はにふだ。文字を書き記す焼き物)や木簡に神代文字で書かれていたのです。もしくは口伝として伝わっていたのです。長い時を経てそれらが劣化し、その都度漢文に改められ、仮名混じりの和文に改められ、和紙に書き直すという作業が何度も生じているのです。
その際、古語が当用語に改められることもあったでしょう。作業者が独自の解釈を挿入することもあったでしょう。
そうして資料の安全性信頼性が減損することも、当然にして考えられるわけです。
そういう事情を一切無視し、偽書のレッテルを貼り一顧だにしない。これは歴史学としていかがなものでしょうか。
そもそも歴史学とは、単に歴史的事実をより正確に把握する、というだけではダメです。
本当に大事なことは、いにしえの人々の声に耳を傾け、歴史を通して様々なことを学び、よりよい現代社会の創造に活かすことだと幸田は考えます。
そういう意味では、むしろ記紀よりもその他の古史古伝の方に、注目すべき叡智が含まれます。それを学ぶべきだと思います。
あ、ちなみに記紀を読んでいて気付いたのですが。・・・・
古事記の写本漢文に「麻具波比(まぐわい)」という言葉を見つけました(笑)
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