邪馬台国は宮崎にあった!!

2017/02/05魏志倭人伝の謎が解けた!!

学問の世界も、やはり声のデカいジャイアンが勝つ世界のようですね。
邪馬台国論争。現在は九州説より畿内説の方が強いのだとか。
 
畿内説だと古墳の時代がビミョーにズレています。卑弥呼の時代は3世紀。畿内の古墳はそれより後のものです。
そして畿内説最大の弱点は、魏志倭人伝の記述と方角がまるで異なること。
方角って、そう簡単に間違うものでしょうか。太陽さえ出ていれば簡単に判別がつきますよね。
それでも畿内説が有力とは、どういうことでしょう。・・・・

倭国は九州だと幸田は考えます。邪馬台国の候補地No.1は、実は宮崎平野だと思います。
 
生目古墳(復元)
 
「水行十日」の記述は、海とは限りません。博多湾から川を上り、概ね南に進めば、筑後川に合流し有明海付近に出ることができます。
そこから陸を南下し、途中どこかで九州山地を横切れば、確かに宮崎平野にたどり着くのです。魏志倭人伝の記述に矛盾しません。
 
そうそう。隋書倭国伝には「倭に阿蘇山有り」との記述があるそうです。
倭国が九州だからこそ、阿蘇山に触れているのではないでしょうか。畿内に向かうのであれば阿蘇山は素通りです。かすりもしないのにわざわざ記述する確率は低いと想像します。
やはり「東」ではなく「南」なのです。畿内ではなく九州なのです。
 
邪馬台国は古墳時代前期に該当します。
宮崎平野、実は前期中期の古墳だらけです。
 
宮崎市内のどこを掘っても、古墳時代の遺物が出土します。市内全域、古墳だらけです。相当強大な国、都市が存在したのは間違いありません。
130mを超える大きな、前期の前方後円墳も幾つか見つかっています。西都原古墳ではありませんよ。宮崎市内です。
畿内の主要な古墳のミニチュア版が、宮崎に揃っているそうです。製造されたのは宮崎の方が先です。それから地名も、畿内と同一のものがあちこちにあります。
 
そして驚くべきことに、古代宮崎には原始的な製鉄の技術まで存在したのだとか。
 
つまり、早くから鉄器を使用することによるアドバンテージで、宮崎平野に強大な国家が成立した。それがおそらく邪馬台国です。
九州の主要な国々を従え、繁栄した。
その後、騎馬による戦法が伝わる。鉄製の馬具や武具を自ら製造できるというアドバンテージを以って、神武東征。本拠地を畿内へ移す。
強大な大和王権誕生。宮崎平野の古墳を模倣、スケールアップし建造。また宮崎時代の地名をあちこちに付ける、と。
 
漢~隋の歴史書の記述とも矛盾しない。現物の裏付けもある。古事記の記述にもスムーズに繋がる。
素直に考えると、邪馬台国は宮崎ですよね。
いや断定はできませんが、百歩譲っても相当に有力な候補地だと幸田は考えます。学者先生方、少し宮崎にも目を向けて頂けませんか!?
 
ちなみにアマチュア研究家の方が、素晴らしい調査をなさっているそうです。
以下、歴史ファン必見のページです。
 
[邪馬台国と製鉄 - Shun Daichi]
http://www.shundaichi.com/37034393402148822269123923506937444.html

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