氷解!! 魏志倭人伝の謎 - こうしてみんなが誤解した
わははは。
なんつーか、実は凄く簡単な話でした。
いざ解けてみると、全てが「納得」です。ややこしい数学の問題を解き、スッキリ感を味わいつつ、
「うん、これで絶対合ってるはず♪」
と自然に確信する時がありますよね。あんな感触を味わっています。
陳寿の著した「魏志倭人伝」の記述は、意外にもかなり正確でした。
地図を眺め、考古学情報を連想しつつ、キレイに(!?)腑に落ちます。
記者会見でも開いて発表したい気分です(笑)
迷走の原因は「先入観」だった!?
邪馬台国までの行程が、魏志倭人伝に細かく記されています。方角と、距離もしくは所要日数が書かれています。
しかし、どうもよくわからない。
方角を重視すれば、距離や日数がしっくりこない。逆に距離や日数を重視すると、方角がおかしい。
多くの研究者が魏志倭人伝の謎に挑み、膨大な仮説が積み上がっています。
その原因が、やっと判明しました。
九州上陸後の起点となる「伊都国」の位置を、実は大多数の研究者が誤っていたのです。
そりゃまあ、起点を誤解していたら、そこで躓いて当然ですよね(^^;
誤解の原因は、先入観だろうと思います。
こうしてみんなが誤解した
今日、魏志倭人伝に記述されている伊都国、奴国、不弥国の比定地に関して、
「ほぼ間違いない。議論の余地はないだろう」
と多くの方々が思っています。
- 『奴国』は『なこく』と読む。
- 博多付近に古くから、『那』という地名(『那の津』『那珂川』)が存在する。
- すぐそばの志賀島から、「漢委奴国王」金印も出土している。当時の遺物も膨大に出土している。
- だから奴国は、現在の博多付近で間違いない。
- 左隣には古くから、『怡土』という地名が存在する。『伊都国』に違いない。
- 右隣にも古くから、『宇美』という地名が存在する。『不弥国』に違いない。
- こりゃもう、9割9分方間違いないわ。わははは。
というわけです。
勿論、幸田もそう思っていました(^^;
その2へ続きます。
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