「仕事」という言葉のウソを暴く!!
というわけで、もうお解りでしょうか。
日本の教育システムは、servant(召使い/使用人)を量産しているのです。
国民主権国家でありながら、どういうわけかほぼ全員を実質的に被支配階級の人間として生産しているのです。
社会的経済的に自立した人間として育てられているわけではないのです。
言い換えると、servantを量産するために教育システムが存在します。
憲法には「教育を受ける権利」とありますが、本当は「教育を受ける義務」なのです。
だから「自らの意思で自由に学校へ通い、自由に学びたいカリキュラムを選択する」のではなく、特定の日数以上出席することを強要されたり、文科省の検定に合格した教科書での授業を強いられるわけです。
そこに自由はありません。或いは自由を著しく制限されています。「権利」ではなく「義務」なのです。「洗脳を受ける、義務」です。
義務として教育を受け、洗脳され、servant(召使い/使用人)として育てられます。
こうして教育という名の洗脳を施された現代日本人。
「1億総サラリーマン時代」
という言葉が流行りました。そりゃ当然です。
「企業戦士」
「企業奴隷」
などと呼ばれました。これまた当然のことです。だから、
「24時間、戦えますか?」
なんてCMが流行るわけです。私達は教育システムによってそう生産されたのですから。
「日本は国民主権国家」というのは大ウソです。ウソっぱちです。
教育がその片棒を担いでいます。教育は洗脳システムなのです。「仕事」の意味をすり替えて刷り込むというのが、まさにその典型例だと言えます。
この世のインチキを見抜き、インチキを徹底的に打破したいものです。
ディスカッション
コメント一覧
他のところでも書きましたが。
江戸時代の武士たちの中には、出世を望まない人々も大勢いた、とのこと。
出世しても大して禄は増えないし、出世に伴う体面を保つための出費が増えるだけ、だから。らしいです。
自分の職場の管理職や上司をみても、出世というのは必ずしも いいものではなさそうです。
理事長の個人的な付き合いや、必ずしもシンパシーを持っているわけではない県会議員事務所の
人々とも付き合わなければならない、など。
管理職、といえども〝servant〟なのでしょうか?
古川さん、コメントありがとうございます。
管理職も、滅私奉公ならservantでしょうね。
幸田は最近、
「個人の富と幸を追求する、持続可能な社会」
とはどんなものか、を考えています。
これは、(出世というシステムはともかく)「出世競争」とはあまり縁がないのでは、と感じます。
その職業やお客さまに対しての〝servant〟なのか、
経営者に対する〝servant〟なのか・・・。
「個人の富と幸を追求する、持続可能な社会」。
社会の幸福はまず、個人の幸福から、なのですね。
また、いろいろ読ませて頂こうと思っております。
ありがとうございます。