安保法制反対派も賛成派も、論点がズレてますよ!!
安倍自民党、つまり安保法制を推進する人々の意思はおそらく、
「これまでの日本は、アメリカさんに従属する形での非対等な日米安保体制だった。今後は日本を、集団的自衛権を行使できる国家に変え、アメリカさんと対等な関係で安保体制を再構築し、国際社会での影響力を高めたい」
ということでしょう。それならまあ、全く理解できないこともありません。
しかしこれまた、根本的なところで議論が不足しています。
「今後50年100年、この日本という国をどうしたいか。どういう国家でありたいか」
という、いわゆる国家理念や国家戦略に関する青写真を描いていない点です。
どう考えたって、まずそこが一番大事ですよね。しかし安倍首相や自民党の方々から、それを見せて頂いたことがありません。
そしてその、あるべき青写真に基いて、
「日本は今後もアメリカさんをパートナーとすることが是か非か」
という判断をするべきだと思うのです。
ネット上で様々な人々の意見を読みつつ感じるのですが、
「アメリカさんの覇権は今や砂上の楼閣で、いつ崩壊してもおかしくない状態だ」
ということをご存じない人が、ものすごく多いようです。これには驚きます。
あの国は、今日たった今突然崩壊しても全然不思議でない程、危険な状況に追い込まれています(このことに関しては、またいずれ改めて別の稿で取り上げたいと思います)
そんな崩壊寸前の国といつまでもパートナーシップを組み、命運を共にし続けてもいいのでしょうか。
皆さんはアメリカさんと一緒に、太平洋の藻屑となって共に沈みたいですか?
またあの国はこの100年近く、覇権国家として自国の利益をひたすら追求し、他国を蹂躙してきました。そもそも日本自身も、70数年前にあの国から蹂躙された筈です。
モラルの面から、日本はそんな国をパートナーとして選んで良いのでしょうか。平和を希求する日本にとって、そんなならず者国家をパートナーとして選ぶべきなのでしょうか。
ならず者と付き合えば、自らの評価を落とす羽目にあうのは一般社会と同じ。この点、もっと徹底的に議論するべきしょう。
以上が「真に必要な安保論議」だと幸田は考えます。
まず、
「日本の国家理念、国家戦略を徹底的に議論すること」
が最重要。その上で、
「日本の安全保障はどうあるべきか。アメリカさんと安保体制を築くこと自体がそもそも妥当かどうか」
を議論する。
その、土台の議論をいずれもすっ飛ばしているので、賛成派の主張も反対派の主張もお話になりません。議論が噛み合うことすらありません。
こうして私達一般市民が低レベルな議論しかできず、そのため政治のレベルも向上せず、日本は崩壊への崖を自ら転落し続けています。
日本人はいつから、こんなお◯カ集団になってしまったんでしょうか。危機感を覚えます。
ディスカッション
コメント一覧
読ませて頂き、ありがとうございます。
この列島に住む人々は、どんな道を取るべきか?
根本の話、をする人は多くないですね、そういえば。
どんな国も永久に遠泳が続くわけではないのに、まして、覇権主義エゴが
目立つ、アメリカ。
太平洋の藻屑の共倒れになる危機も、あるんですよね―なぜ、もっと
みんな 指摘しないのだろう?
それにしても。
かの国が砂上の楼閣になる可能性に思い至らないのは、全くの不勉強、
恥じます。
勉強になりました。
ありがとうございます。
古川さん、いつもコメントありがとうございます。
書いている側として、励みになります。
日常生活の中で、沢山の人がこの国の将来について、もっと活発に意見を述べ合えるようになるといいですね。
そういう土壌づくりに一役買うことができれば・・・・と願っています。
集団的自衛権だとかTPPだとか、個別具体的な議論をするより、まずそっちが先ですよねえ。
いえいえ、こちらこそ!!!
われわれは、何処へ向かうべきなのだろう?
平和を希求する国家、人を殺さない国家、を目指す、てのは
駄目でしょうか?
甘いかな?
ほんとうに。
そもそも。
われわれは、何を目指すべきなのか?
古川さん、おはようございます。
人を殺さないことを「平和」と定義する、ってのもアリだと思いますよ。
ただ現実には、相当厳しいでしょうけれど。
縄文時代の人骨を調べると、人を殺す、戦うということが極めて稀だったと判るそうです。弥生時代あたりから戦いが始まります。
その差はどこから生じるか。
おそらく食料生産性が向上し収穫量が上がり、富の蓄積や集落の大規模化にともなって社会という概念が発生。そこから貧富の差が生じる。
その辺りから、より大きな富を求めて「戦う」「人を殺す」という行為が始まるんでしょうね。
国家という巨大な社会があり、資本主義、自由主義経済を肯定している間は、残念ながら「人を殺さないという平和」は難しい、と想像します。
まず「人を小殺さない平和を実現するためには、どんな社会、どんな経済システムであるべきか」ってところから考えていきたいですね。
こんばんは。
資本主義、国家、というもので成り立っている世では、
やはり「人を殺さない平和」を実現するのは、難しいですか。。
犠牲をなるべく最小限に抑える国家、でありたいですね。だから、自衛以外で
大義なき戦争に参加する=他国人を殺してしまう可能性も生じる、のは
のは、賛成しかねます。
社会、経済システム、そこから考え直さないと 駄目なのですか・・・
古川さん、コメントありがとうございます。
>犠牲をなるべく最小限に抑える国家、でありたいですね。だから、自衛以外で大義なき戦争に参加する=他国人を殺してしまう可能性も生じる、のはのは、賛成しかねます。
同感です。
>社会、経済システム、そこから考え直さないと 駄目なのですか・・・
そう思います。
弥生時代になって戦争が大きく増してきたのは、金属器が
発達したからでは?と思います。
それとも。
大規模な戦争をする必要が生まれたから、金属の武器が発達したのでしょうか?
古川さん、コメントありがとうございます。
金属器はなにも武器のみ製造するとは限りません。
戦争をする必要が生まれたから、鉄で武器を作り始めたんでしょうね。
逆に言えば、縄文人は石器で武器を作ることも可能だったけれど、人を殺すための武器を製造する必要性がなかった、と。
ただ、縄文時代も大規模な環壕集落はあるんです。
ということは、戦いにおける防御の意味で設けたのではなく、ドロボー対策だったのかな、と想像します(笑)
※縄文人に戦闘行為が見られないという根拠は、発掘された人骨5,000体のうち殺戮の痕があるのはごくわずかだという点です。
そうですよね。
考えてみれば、石器だって木の棒だって、鈍器として使えるし、
削れば人を刺すこともできますね。
殺人を伴う大きな争いが幾たびも起きてきた、その時にちょうど青銅や鉄
を創る技術があった、と考えるべきかも??
古川さん、コメントありがとうございます。
>殺人を伴う大きな争いが幾たびも起きてきた、その時にちょうど青銅や鉄を創る技術があった、と考えるべきかも??
そういうことだと思います。
あ、青銅器は主に祭祀向きだそうですが。武器としては、強度が足りないんでしょうね。