日本再建は「それぞれのモラルを高めること」から始まる
ここ数ヶ月、近所で下水道工事をやっています。
寒い中、年輩のおっちゃん達が一生懸命、作業をされています。幸田は時折、その様子を眺めているわけです。
今日、その脇を通過する際に気付きました。
作業が一区切りつく毎に、ホワイトボードに作業工程名と日付を書き、処置箇所の傍らに置いて写真を撮っているのです。
おいおいおい・・・・(^^;
そりゃ確かに、上手いやり方だと思いますよ。しかしそんな杜撰な作業管理で良いのか、とツッコミたくなります。
ちょろっと写真を撮るだけで大丈夫なのか、と。・・・・
本来ならば元請けの責任者が、現場に立ち会って入念にチェックし、処置完了を見届けた上で写真を撮るべきなのではないでしょうか。そして次の工程へ移行する、ゴーサインの判断を行うべきなのではないでしょうか。
下請けが素人のおっちゃん達を、日雇いで使役して作業させているのです。であれば尚更のこと、元請けの処置完確認は作業品質の維持向上の要(かなめ)となります。これはプロジェクト・マネジメントの「いろは」です。
そして何より、発注者である行政の側が、そんな杜撰な作業チェックの手順を黙認していることに驚きます。
もし後日、問題が発生したらどうするつもりでしょうか。
元請けが最後まで自腹で責任を負ってくれるのであれば、まあ良いでしょう。
しかし常にそうとは限りません。場合によっては税金で尻拭いする事態も発生するわけです。
であれば、行政も元請けと共に足繁く現場を訪問し、作業状況を細かくチェックすべきではないでしょうか。
いや、元請け責任者以上に気合を入れて、チェックを行うべきでしょう。本来それが、私達一般市民の血税を預かる公務員の、心構えのはずです。モラルです。
下水道工事ならば尚更のことです。埋めて、上からアスファルトで覆ってしまえば何も分からなくなりますから。
問題が生じた時、それが下請けの作業ミスなのか、元請けの設計ミスなのか。それとも自然現象による破損なのか。杜撰なチェック、杜撰な作業管理では、そういった原因の分析すらままなりません。
で、結局どこに責任があるのか不明のまま、税金で修復。これが今日の通例になっているのではないか、と危惧します。
なぜ、幸田はこんなことを気にするのか。・・・・
実は、現在の幸田の仮住まいは、海沿いの木造賃貸ボロアパートです(恥)
埋立地なのか元々地盤が弱いらしく、結構揺れます。建物全体がわずかに歪んでいて、ベランダの外壁が脱落しかかっています(苦笑)
そこへもって、周辺で下水道工事が始まりました。と、振動が激しくなってきたのです。そばの大通りを大型車が通過しただけで、地震かと身構える程建物が振動するのです。
アパートの管理会社に連絡を入れました。
「建物も歪んでいるし、それが原因でベランダ外壁もヤバい。そこへもって下水道工事で振動がひどくなってきている。大丈夫か」
これに対し、大手物件管理会社の担当いわく、
「まあ大丈夫だろう。行政も工事着手前に、地盤の調査をしているはずだから」
と。
おいおいおい・・・・(^^;(^^;
ダラダラと長話になってしまいましたが、まとめます。
この国は元々、個人個人が高いモラルを有していました。
被支配層は日々、個人の責任をきっちり果たす。そうすれば、
「あとはお上が、ちゃんとオラ達の暮らしを守ってくれる」
という依存、信頼の意識がありました。
そして支配層は支配層で、上に立つ人間としての高いモラルを備えていました。被支配層が安心して幸せに暮らせるよう、しっかり配慮していました。被支配層の期待に概ね応えていました。
世襲制でしたから、両者がそれぞれ幼少時より、それぞれの立場に相応しいモラルを身につけるシステムになっていました。
だからこそ、永く繁栄したのです。江戸時代など260年も続きましたし、国際情勢の変化がなければもっと長く続いたことでしょう。
現在、教育システムがこの国の歴史観を歪めています。また毎日のように時代劇で、悪代官と悪徳商人がエラい人に懲らしめられています(笑)
なのでこの国の本来の歴史が見えなくなっていますが、昔の日本はスゴいのです。高いモラルをベースに、比較的理想に近い社会を築いていました。理想に近い構図で社会が回っていました。
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