日本人の矜持はどこへ行った!?(怒) 北朝鮮情勢緊迫に思うこと - 後編

国際社会と「日本人の矜持」

前編より続きます。
 
 
繰り返しになりますが、幸田はべつに、北朝鮮の肩を持とうとしているのではありません。
ただ現在の情勢を、なるべく客観的に見るべきだと思うのです。なぜか。我々が、他ならぬ「日本人」だからです。
 
 
 

まともな歴史を学ぶ機会を奪われている

当ブログでは何度か取り上げていますが、敗戦後の日本は教育をぶっ壊されました。特に歴史教育を徹底的にぶっ壊されました。
日教組の定める「教科書採択基準」に沿った教科書のみが採用され、まともな歴史を学ぶ機会を奪われています

その結果、大航海時代以降の欧米諸国が如何に極悪非道の所業を世界中で繰り広げたか、我が国もまた彼らにどれだけ苦しめられたか、そして彼らに対し如何に堂々と対抗したか・・・・を教わりません。
 
 
 

欧米諸国のエゴに屈しなかった日本人

幕末、アメリカが、大統領の国書を携えてやって来ました。
外交官ではありません。海軍提督ペリーが、軍艦4隻を率いて乗り込んで来ました。
彼らは東京湾の入り口、浦賀に停泊しました。さらには幕府役人の制止を無視し、東京湾に侵入。江戸の街並を覗き、空砲を撃ってみました。
 
学者先生方は、これを「恫喝外交」と曰いますが、とんでもない話です。どう考えたって真っ当な外交などではなく、完全に「軍事行為」です。両者はまるで性質が異なります。
 
だから巷に尊王攘夷論が溢れました。
「徳川幕府は腰抜けだ。頼むに足らん。夷狄討つべし」
と、世論が沸騰したわけです。
 
当時の日本人は、強い「矜持」を持っていました。だから欧米諸国のエゴを強く糾弾しました。そして、
「欧米人の横暴を許してはならない。日本、清国、朝鮮が一致団結し、彼らの侵略から東アジアを守っていくべきだ」
という思想が生まれました。
 
 
 

「日本人の矜持」とは何か

明治新政府の殖産興業、富国強兵はそのための政策でした。自ら体質改善し力をつけ、欧米諸国の帝国主義に対抗できるだけの実力を養うべきである、と。・・・・
日清戦争、日露戦争も、またその後の外交戦略軍事戦略も、全てその延長線上にあります。我が国が欧米諸国の帝国主義に屈し、彼らの植民地に陥らないよう頑張った「軌跡」なのです。
 
基本的には彼らと友好関係、協調関係を築きたかった。しかし最初から根本的な利害が対立していたわけです。
彼らのエゴから、自らの身を守らなければならない。それが、近代日本に課せられた命題でした。
 
そういった対立構図を精算せざるを得ない時期がやってきました。即ち大東亜戦争(太平洋戦争)です。
日本人は日本のみならず、東アジア、東南アジア、南アジアの存亡を賭けて戦った。日本の誇りを賭けて戦った。それが大東亜戦争なのです。
 
アジアに野心を持っていたアメリカは特に、日露戦争直後から一貫して日本を叩き続けました。日米外交史とはアメリカのエゴに基づく、ジャパン・バッシングの歴史です。
 
今日の日本人は、それを識りません。欧米諸国の本質や、日本人の矜持を学ぶ機会を失っているわけです。
また同時に、情勢を見抜くための「軸」を学んでいないのです。
 
 
 

エゴによる他国の「国権」侵害を許すべきではない

結果、今日の日本人は、欧米諸国のエゴのなすがままだ、と感じます。
人に人権があるように、国家にも国権があります。どんなにレベルが低かろうと、他人に害を為さない限り人権は尊重されるべきだし、国権もまた尊重されるべきです。
 
今日のマスコミや日本政府の論調は、まさに欧米諸国のエゴを無批判に受け入れ、国権の何たるかをまるで考慮していないかのように感じます。
 
未開国北朝鮮にだって、国権はあります。我が国の安全保障上の懸念がない限り、彼の国の国権を侵害すべきではありません。
しかし日本政府は、世論は、欧米諸国のエゴを無批判に受け入れ、彼らの国権は蔑ろにしているように見えます。
 
そこに懸念を抱きます。長年欧米諸国のエゴと戦ってきた日本にとって、それを安易に許して良いものか、と。・・・・
 
他ならぬ日本人だからこそ、情勢の本質を見抜き、自らの立場と信念に基づいて主張すべきは主張する。そういう「自立」が出来ていないからこそ、日本の政治は3流だの5流だのと揶揄されるわけです。

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