改めて魏志倭人伝を読み解く - 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす
拙著「新・日本通鑑(1)」、お陰様で好評です。ありがとうございます。
特に何の宣伝もしていませんが、それでも沢山の方々にお読み頂いています。
また、最後まで一気に読み通して下さる方が多いようです。本当に嬉しい事です。
ですがリリースから早4年経過し、色々と問題に気付いています。
特に、卑弥呼邪馬台国について。
「新・日本通鑑(1)」のリリース後も研究を続け、執筆当時の考察はまだまだ甘かったと後悔しております。
そこで改めて、今回「改めて魏志倭人伝を読み解く - 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす」をリリースしました。
是非とも、少しでも多くの方々にお読み頂きたいと願っています。
何故ならこれは、当書執筆は幸田のライフワークの一つと考えています。
また拙著「新・日本通鑑(1)」をお読み頂いた方には特に、卑弥呼邪馬台国解説の差し替え……という位置づけでお読み頂きたいと思います。
卑弥呼邪馬台国。――
研究していて気付いたのですが、現代の知見をもってすれば、既に解けて当然の謎なんですよ。
少なくとも幸田は、「解けた」と思っています。ややこしい数学の問題を解き終えたような、スッキリ感があります(笑)
解けてしまえば、まさに謎でも何でもありません。つまりあらゆる論点争点に、カンペキな解を提示していると自負しています。もはや珍説奇説の類いは、存在の余地がありません。
要するに、なぜ未だ、謎とされているのか。
ひとつは、学者先生方が真剣に解こうとしていないからです。
ある種の思惑から、卑弥呼邪馬台国をタブー視し、敢えてプロレス――出来レース――に打ち興じているだけなのです。
つまり卑弥呼邪馬台国の謎を解いてしまうと、戦後の皇国史観否定・封殺という、占領軍GHQから課せられたアカデミズムの役割に破綻をきたしてしまうからです。
またアマチュアの方々による珍説奇説も、結局は魏志倭人伝の読み方が甘過ぎると指摘可能です。
著者陳寿は、一説によると倭人伝を書きたいがため、「三国志」の編纂に着手したそうです。並々ならぬ熱意でもって魏志倭人伝を執筆したと言われています。
つまり読み手の側も、それを汲んでしっかり読み解かなければならないのです。魏志倭人伝に真摯に向き合わなければならないのです。
それを、
「陳寿の勘違いだ」
だとか、
「誤記だろう」
などと、簡単にバッサリ切り捨てたり、自説の都合で曲解してはいけないのです。
学者先生方にしろアマチュア研究家の方々にしろ、もっと魏志倭人伝を精読すべきです。
例えば「伊都国」。――
国内における一大重要拠点です。卑弥呼邪馬台国が、北方統治のためにわざわざ設けています。
いわゆる後年の大宰府のような位置づけだ……と魏志倭人伝記述から判明します。国内外におけるヒトとモノの流通拠点、大陸や半島との外交拠点であったとも書かれています。
現在学者先生方は、伊都国比定地を福岡県糸島市付近、としています。定説化しており、現地には伊都国歴史博物館があります。
ですがもしそうだとすれば、上陸地点として定説化している長崎県唐津湾からの方角が、魏志倭人伝の記述と全然異なるんですよ。
記述では「東南」。しかし実際の方角は「東北東」です。
優秀な正史編纂者として評価されている陳寿が、しかも並々ならぬ熱意をもって執筆したとされているのに、その方角記述が信用出来ない……なんて話があり得るでしょうか。
考えてみて下さい。
方角なんて、太陽が出ていさえすれば、簡単に判明するんですよ。それを誤るなんて、考えられますか!?
方角記述に関しては、まず九割九分方正しい、と見做すべきでしょう。
つまり伊都国は、福岡県糸島市付近ではないのです。定説化してはいますが、あれは方角記述を陳寿の勘違いと見做して漸く成り立つ、実にいい加減な説なのです。
さらに言えば、
「陳寿の方角記述は、九州上陸後全て、東を南と勘違いして書かれている」
などといった説は、全くの噴飯モノなのです。
そしてそれに基づく「邪馬台国畿内説」は、早々に看板を下ろすべきなのです。
また伊都国糸島説は、その他の魏志倭人伝記述とも全く合致しません。
仮に糸島市付近が伊都国だとすれば、末廬国唐津湾に上陸した理由にも説明がつかない。なぜならその前の経由地である壱岐島一大国から、ストレートに糸島市へ上陸した筈だからです。
しかし実際には、そうではなかった。
また、魏志倭人伝記述によれば、伊都国の南側は海に面しています。交通や外交の拠点として選ばれた場所なのです。ですがこれも、糸島市付近だったとすれば記述と矛盾しています。
というわけで、卑弥呼邪馬台国の謎が解けない最大の理由は、伊都国の比定地が誤っているからなのです。
本当の伊都国は、誰もが知るアノ場所です。
伊都国糸島説が誤っていれば、必然的に奴国や不弥国の比定地も誤りです。
また、遠国統治の拠点としての役割を考えれば、アカデミズムの二枚看板たる「邪馬台国北部九州説」も消えます。畿内説にしろ北部九州説にしろ、ハナっからあり得ないと言わざるを得ません。
このように、現在の主流となっている説はことごとく、魏志倭人伝の読み方が甘いのです。
精読すれば、卑弥呼邪馬台国の所在地はすぐに判明するし、また記紀史観との整合性も取れるのです。
またアマチュア諸氏の唱える珍説奇説の類いには、重大な欠点があります。それは考古学的な裏付けに乏しい……という点です。
幸田は本書において、決定的とも言える考古学的根拠を提示しています。
拙著「改めて魏志倭人伝を読み解く - 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす」は、記紀史観と魏志倭人伝の両方から読み解き、政治力学的視点をも踏まえた歴史観を展開しています。
これぞ卑弥呼邪馬台国論の決定版、と自負しています。卑弥呼邪馬台国論の論点争点に詳しい方々程、本書の価値をご理解頂けると思います。
少しでも多くの方々にお読み頂きたい、と願っています。
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