06. 日本の教育システムの欠陥(衝撃の前編)

2013/01/28「生き方」についてもう一度考える

一人ひとりの意識の問題だと言ってしまうのは、少々むごいような気がします。結局、教育システムの欠陥だと指摘せざるを得ません。
つまり教育システムの欠陥が、「本当に必要なスキルを持たない人」を大量に生んでいます。「自ら富や幸を掴むスキルを有しない人」を量産しています。
 
 

「幸せになれない人を量産すること」が教育の目的

そもそも日本の教育システムは、なにを目的として構築されているのでしょうか。
少なくとも、「幸せな人生を形成するためのスキルを習得させる」といったものでないことは明白です。
 
日本の教育システムの欠陥は、アタマの良い人達にとってみれば昔から明らかなわけで、それを何十年経っても改めようとせず放置しています。
ということはつまり、わざとやっているんだと解釈すべきでしょう。
 
確信犯なのです。意図的に「幸せになれない人」を量産している可能性があります。なにしろ為政者にとってみれば、
「雇われる側の人間として、従順でそこそこに優秀な人間を、大量生産する」
というのが理想ですから。
 
そういう観点で教育システムを見ると、なるほどと思い当たることがたくさんありませんか?
 
 

個性や才能を伸ばそうとしない教育システム

例えば「平等」の名のもとに、アナタの個性や才能が潰されてきませんでしたか!?
 
底上げと称して、平均以下の生徒を伸ばそうと力を注ぎます。
が、一方で優秀な生徒は放置されているんですよね。
おかしな話です。そりゃ勿論、底上げも重要なことですが、優秀な個性や才能を伸ばすこともそれに負けず劣らず重要なはずです。
社会的利益だとか生産性を考えると、むしろその方が重要といえるはずです。うまくそれを伸ばす行為こそを、本来、教育と呼ぶのではないでしょうか。
 
しかし現実には、そうなっていません。いや、敢えてそれを潰そうとしているようにすら、感じられます。
さらには周囲が寄ってたかって個性を排除しようとしているかのようです。これは日本的村社会気質のせいだと言えるかもしれませんが、原因の一端は教育にもあると思います。
 
 

この教育システムは日本人を幸せにしない!!

個性を伸ばさず、才能を伸ばさない。
全員を学業成績かスポーツの成績か、わずかに2つのものさしだけで評価しつつ、均質な人材のみを大量生産する
これが、「一億総サラリーマン時代」を生んだカラクリです。そして富と幸を減少させ、今の日本社会を苦境に貶めた原因だ、とこの稿の筆者は考えます。

 
改めてご自身を振り返ってみて下さい。
日本の教育システムのおかげで、アナタは幸せになれましたか? あるいは、今後幸せになれそうですか?
教育システムの実質的効果を、社会に出て実感できますか!?
 
幸せになるために必要なのは、「リスクをマネジメントしつつ、自ら問題をみつけ、解決へと導ける」スキルであり、「自らの個性や才能を伸ばし、活かす」スキルだと思います。
 
そのどちらも、日本の教育システムはアナタに与えてくれませんでした。それどころか個性や才能、そして自信や勇気を奪います。
結果、大半の人々は自然にサラリーマンとして養成され、今なお理想とは異なる方向のレールに乗って走っています。

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