コメ神話よさらば!! - 前編

歴史ってすっげ~面白い, 毒舌企画!! 「常識のウソ」

1994年のコメ不足

大学受験に何度も失敗し浪人の長かった幸田は、1993年にようやくFラン大学呆学部に入学しました(恥)
 
南九州大水害の年でした。鹿児島のJR竜ヶ水駅が大雨による土砂災害で流され、鹿児島市が水没(^^; 毎日電車が停まって、通学に難渋しました。
「規定雨量を超えましたので、電車が停止します」
と、野生ザルが出没するような深い山中の信号所で、電車が2時間も停まるのです。エアコンも止まり、サウナ状態の電車内で呆然。
 
そんな日々が続き、
「ただでさえ通学に4時間以上要するのに、それ以上のロスに耐えられるか~っ!! 心身共に限界だ!!」
と、親父を説得し大学近辺で1人暮らし開始。

そんな水害の翌年、即ち1994年。日本はコメ不足に陥りました。
国産米、カリフォルニア米、タイ米の混合品が安価で市場に出回ります。周囲が、
「海外のコメは不味い~」
と不満をもらす中、コメに執着のない幸田はむしろ、
「一人暮らしの清貧苦学生(笑)的には、混合米は値段が安くてラッキー♪」
と、小躍りしていました。
 
幸田にとっては、安い混合コメを炒めるなり蒸すなりして、チャーハンやリゾット風に調理して食べるほうが有り難かったんですよね。
いや、どうせ月に1度2度しかコメを食べないので、経済的には大差なかったわけですが(笑)
 
そんな人間だからこそ気づく、日本人の「コメ神話」の異常性・・・・というお話です。
 
 
 

コメに着目した経済史観はホンモノか!?

今、拙著の続編を書くために膨大な書籍に目を通しています。
学者先生方が編集、執筆する通史に目を通すうち、違和感を覚えるのです。即ち、
「日本人はコメ神話に囚われ過ぎていないか!?」
と。
「コメに着目した経済史観は、果たしてホンモノなのか?」
と。・・・・
 
例えば講談社学術文庫「日本の歴史02 王権誕生」を読むと、冒頭からそれについて字数を割いています。
 

  • 稲作の開始、普及は「進歩」である。
  • 大々的な稲作農耕の広まりによって、社会は豊かになった、進歩した。
  • 主食のコメを大量生産できるようになり、経済的そして文化的水準が向上した。

 
という、従来型の「手垢にまみれた」経済史観ですね。
 
しかしながら、ちょっとそこから離れて、もっと柔軟に想像を巡らしてみましょう。
 
 
 

諸々の条件が整ってこそ、コメが美味い

今日のコメは随分と品種改良が為されていて、ふっくらモチモチの美味しいコメに変貌を遂げています。
これをコンピューター制御された炊飯器で巧く炊くからこそ、美味いわけです。
プラス、豊富な調味料等で味付けされたメインディッシュがあり、さらにはふりかけや佃煮などがあるからこそ、私達はコメを、
「美味い♪ ありがたや~」
と感じます。
 
では、縄文人はどうでしょうか。
 
原始的な熱帯ジャポニカ米しかない。精米技術もないので、玄米を食べる。そしておそらく、雑穀と混ぜて炊く。
炊飯器もなく時計もないので、土器と薪を用いて常に勘に頼りつつ炊くしかない。そんな条件でどうにか炊き上げたコメを、今日ほど美味いと感じるでしょうか。
 
小動物の肉や、魚貝類が豊富で簡単に穫れるのに、敢えてそんなコメを、
「ごちそうや~♪。ありがたや~(笑)」
と大喜びで選択するでしょうか。
 
 
 

縄文人にとってコメは非常食、代用食に過ぎない!!

そもそも人類は約500万年前から、食料のメインは動物性タンパクです。肉や魚貝なのです。プラス、果物。
ちなみに日本では、野菜を食べていた形跡もありません。今日スーパーの野菜コーナーで見かけるような品々はことごとく、もっと後の時代に海外から入ってきました。
 
炊飯器もなければ調味料もない時代においては、穀類など美味くもない、非常食、代用食でしかないのです。
縄文日本は食のユートピアで、肉や魚貝の調達に不自由しませんでした。それら動物性タンパク、プラス、ドングリや椎の実、栗などを「あくまで非常食として」貯蔵していた程度だと考えられます。

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