ええいっ、文字が小さ過ぎるわ~っ!!

ビジネス・起業, 雑談

以前から使っているタブレットが2012年の製品で、もうそろそろ限界かと感じている。
今日外食したのだが、お店の予約時間まで10分足らず余裕が生じたため、たまたまお隣にあった家電量販店に飛び込み、ちょっとだけお目当てのタブレットを確認した。
 
で、驚いた。
なんじゃこのフォントサイズはぁ~っ!!

7ポイントとか8ポイント程度だろうか。
英語などアルファベットの文章でさえ、小さ過ぎて見づらいだろうサイズである。ましてや(アルファベット以上に複雑な)漢字ひらがなであれば、尚更だ。
何を考えて設計してんだ、と大いに呆れた。
 
いや、そういえば、今更驚く事ではないわと気付く。
昨今のスマートフォンだとかタブレットだとか、モバイル端末の文字サイズの小ささには常々呆れている。むしろ今日改まって驚くのはおかしい(^^;
しかしまあ、設定をいじってフォントサイズを最大にしてもなお、小さ過ぎるのには呆れた。設計者は何考えてんだ……と。
 
 
 

何故、小さいと気付かない!?

幸田は確かに、既に老眼。なにしろアラフィフなので……。
ただし視力はいまだに1.0以上ある。40年近くパソコンを扱い、特に昔はひどいPCモニター環境に甘んじていた割には、比較的まともな視力を維持している。
しかしまあ、幸田の目がどうであろうと関係ない。客観的に考えて、現在のモバイル環境その他の文字サイズは果たして適切か、と問いたいのである。
 
キャッチアップ画像を見て欲しい。本来の日本語や漢文の文字サイズとはこんなものだ……とお解り頂けるだろう。
もしかして、現代日本人はそれを知らないのか!? いやいや、皆さんだって古書の1つや2つは、写真なり何なりどこかで目にしたことがある筈である。
 
ちなみに今日見たタブレットは、中国L社製だった。漢字文化圏の人間でさえも、本来の文字の在り方を知らないのではないか!?
 
幸田は声を大にして言いたい。今日のように、豆粒みたいな文字の羅列を読ませるというのは、明らかに異常である。
もっと適切な、文字のサイズというものがある筈なのだ。
 
 
 

書籍の文字は本来大きかった

キャッチアップ画像の通り、昔の文字は大きかった。
これは勿論、小筆などという、扱いの厄介な筆記用具で複雑な文字を書くから、小さく書く事に自ずと限界があったためだ。
 

 
しかしながら昔の人々は、
「本を室内で長時間読むと、目が悪くなるぞ。気をつけろ」
と言っていた。現代の活字やモバイル端末より、はるかに巨大な文字サイズだったにもかかわらず……である。
 
ところが、近代に入り活字印刷が普及したため、いきなり文字サイズが小さくなった。
当初はまだまだ印刷コストがかかっていたため、少ないページ数になるべく文字を詰め込みたいという「やむを得ない事情」があった。
 
しかし今や、印刷コストをあまり意識しなくて済む大量消費時代に入って久しい。にもかかわらず何故、活字サイズを見直そうとしないのか。
 
幸田にとっては、そこが謎だと感じる。
 
 
 

何故おかしいと思わない!?

いや確かに、一部の冊子に関しては文字サイズの見直しが図られている。高齢者向けに大きな活字を使用した小説等も発売されている。
 
が、しかしまだまだ不充分、不完全ではないだろうか。若い世代はおろか、子供達にとっても小さい文字はよろしくない。皆ことごとくメガネをかけている事からも、明らかではないか。
なのに何故、そこを見直そうとしないのか。
 
縦に40文字以上、小さな活字がギッシリ詰まった文庫本。見ただけで気分が滅入る。
そして文庫本より一回り大きいのに、活字サイズにほとんど違いの見られない単行本。あれだけデカく余白を確保できるなら、何故その分もっと活字サイズを大きくしないのか!?
 
眉根を寄せ、それらの小さな文字を長時間追い続ける事に、皆、何の疑問も抱かないのだろうか。
普通科高校に進学すると、周囲は皆メガネ。そこに何の疑問を抱かないのは何故か。子供がなかなか本を読もうとしない理由は、ひとつは活字サイズのせいではないのか!?……
 
 
 

幸田の身近な例として……

幸田は大学時代に、システム開発会社を起業した。
折しもDOS時代からWindows GUI時代へと移った頃で、開発する業務システムのフォントサイズを、比較的自由に設定できるようになっていた。
 
なので幸田は、自身の設計する業務システムは常に若干大きめのフォントサイズに定め、かつ顧客に大きめのPCモニターを勧めた。
顧客の職場に年配の方が多い場合は、さらにワンサイズ大きめのフォントでシステムをデザインした。非常に喜ばれた。
 
その後、日本屈指の某大手グループの中核企業に、助っ人として入り込んだ事がある。
で、驚いた。その会社のスタイルガイドに、
「GUI(業務システムの画面)のデザインは、フォントサイズ9ポイント」
と書かれていたのである。これは、当時まだ老眼とは無縁で、視力も非常に良かった幸田にとっても、辛いと感じるサイズだった。
 
いや、9ポイントの文字が読めないわけではない。
ただ業務システムというのは、勤務時間中使い続ける前提で設計すべきである。長時間使い続けるとしんどい設計は、改善を要する。9ポイントというフォントサイズはまさにそれである。
 
そもそも何故9ポイントと定めたのか、と調べていて、呆れた。つまりWindowsの開発企業であるMicrosoft社が、GUIデザインのスタイルガイドに「9ポイント」と書いているから……だった。
 
おいおいおい!!
アルファベットと、日本語文化圏では話が別だろ(笑)
現代日本人は、そんな事も気付かんのか!?
Microsoftの言う通りにフォントサイズを定め、
「小さい。読みにくい」
と、誰も感じないのか!?
 
 
 

単なる文字サイズの問題にとどまらない

ちなみに現状は、さらにさらにフォントサイズが小さくなっている。家電量販店でタブレットの現物を見て、その事をあらためて痛感させられた。
 
確かに昔よりはGUIも向上し、画面を自由に拡大し易くなった。ただモバイル端末の場合、それが出来ないケースも少なくない。
そこに誰も、違和感を覚えないのか。
 
話を戻すが某企業。――
さすが大手企業だけあり、皆優秀かつ人間的にも素晴らしい人ばかりだった。
「気になる事があれば、どんどん言って欲しい。改善できる点はどんどん改善していこう」
とおっしゃってくれていた。
しかし、例えばフォントサイズのスタイルガイド変更ひとつでさえ、あちこちの部署と交渉をせねばならず、大変な労力を要するのである。
なので余程重要な問題でない限り、現状維持で終わる。改善は一向に為されない。
 
つまり、活字サイズ文字サイズひとつであれ、実は極めて大きな問題が潜んでいるのである。
1990年代以降、日本がダメになった、没落していった……原因が見え隠れする。
 
 
 

バブル景気に隠れた「日本の重大な転機」

幸田は常々、戦後の教育システムが日本をダメにした……と主張している。
以前こんな記事を書いたが、ひとつの重大なる転機がバブル絶頂期にあったのではないか、と睨んでいる。
 
即ち1980年代後半、バブル景気に浮かれ、その裏で極めて深刻な問題が生じていた事に誰も気付かなかった。世代交代である。
戦前の教育システムで育ち、戦後復興を主導した人々が皆、丁度バブル景気の時期に引退した。そして各分野において、リーダー達が戦後世代に完全に入れ替わった。
 
戦前の教育システムで育った人々は、自らの頭で物事を考えたし、それが良いと思えば自らの責任でどんどん改善していこうという気概があった。リスクを取って尚積極的に進んでいこうという、勇気や根性があった。
ところが戦後世代は、教育システムによってそれらが奪われた。「強い日本人」は消滅し、自ら考えない、事なかれ主義日本人へと化した。バブル崩壊後は、そんな日本人が日本社会を牽引しているのである。
 
結果、市場においては「意欲的な商品」が影を潜め、「無難な商品」に満ち溢れた。
同時に「Japan as No.1 !!」を誇った無敵状態から、今や「国民1人あたりのGDP」が世界27位に転落。もはや先進国と名乗るのもおこがましい、凋落ぶりである。
 
たかだかPCの文字サイズの問題、と侮ることなかれ。
 
自らアタマを働かさなくなった。子供がそもそも活字を忌避するようになった。皆、事なかれ主義に陥った。誰もリスクをとらなくなった。そして日本経済、いや日本社会全体が競争力を失っていった。……
文字サイズひとつに、実に多くの深刻な問題が潜むのである。

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