氷解!! 魏志倭人伝の謎 - あれれれ伊都国はどこだんべ?

2017/02/05

その1より続きます。
 
 

奴国 ≠ なこく

しかし、「奴国」の読みが「なこく」でないとしたら、どうでしょうか。
実は漢朝にしろ魏朝にしろ、漢音なのです。ですから「なこく」と読む筈がない(!!) 正解はおそらく、「どこく」もしくは「とこく」なのです。
となると、「那」という地名との関連性が根拠を失います。
 
「まあ、でも金印が出土してるじゃないか」
とおっしゃる方も、いることでしょう。
しかし金印は持ち運び可能ですから、金印が出土したからと言ってそこが奴国であるとは言い切れないわけですよ。
誰かが盗み出して、こそっと埋めたのかもしれませんよね(笑)

しかもあの金印、読みは「漢の委奴(いど/いと)国王」が正解です。
幸田説によると(笑)、学校で教わる「漢の倭の奴国王」は誤りです。アカデミズムによる捏造だと思っています(^^; なぜなら両者で意味が全く異なるから。
 
奴国王にあげたんだか委奴国王にあげたんだか判別不能の金印なら、公式の外交進物として不適格です。奴国王ではなく、文字通り委奴国王が貰ったのでしょう。
となると尚更、金印の出土が奴国であるという根拠にはならないわけです。
 
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あれれれ伊都国はどこだんべ?

というわけで、「奴国=現在の博多付近」という定説の、根拠が消えました
それでもって、
「奴国の西隣だし~、地名も同じだし~・・・・」
という、伊都国比定の根拠も消えました。同時に反対隣の、不弥国比定の根拠も消えました。
 
おまけに、「伊都国=福岡市西方~前原市辺り」という定説が、決定的に誤っていると断言できる根拠があります。
魏志倭人伝によれば、
「末廬国(長崎県唐津市付近)に上陸し東南に進むと、伊都国に至る」
と書かれているのです。
 
福岡市西方なら、唐津市から見て東北東ですから、方角が全然異なるんですよ(笑)
 
実は幸田も、そこを完全に見落としていました。
 
 
その3へ続きます。