伊都国歴史博物館に行ってきました - 後編

前編より続きます。
 
 
展示物を眺めていると、いろいろと疑問が湧きます。
 
例えば様々な、鉄器の出土品が並んでいました。
「○○遺跡で出土。弥生時代中期」
などと、プレートに書かれています。
 

  • 弥生時代中期というのは、どのように判断しているのだろうか? 推定なのか、それとも何らかの調査の結果なのか?
  • 場所が九州北部だけに、国産なのか輸入物なのかが気になる。


というわけです。
年配のスタッフの方がおられたので、これ幸いとばかり、根掘り葉掘り(笑)うかがいました。
 
 
 

その鉄器は国産? 輸入物?

まず、鉄器出土品に関しては、調査の結果「弥生時代中期」といった具合に時期を判断しているそうです。
同じ場所同じ層から出土した品々を、C14測定にかけ年代を特定している、と。……
なるほど。まあそれなら信頼できます。
 
では、国産なのか輸入物なのかと問うと、意外な答えが返って来ました。
「ここ(博物館)の偉い先生は、我が国に鉄器製造技術が入ってきたのは5世紀頃だ、という説を唱えています。この鉄器は弥生時代中期ですから、それよりずっと前ということで、必然的に『輸入物』であると考えています」
だそうです。
 
ほう。……
 
 
 

つまり一学説に基づく「推測」に過ぎない

では、鉄器製造技術が実際はもっと早くから確立していたとすれば、「輸入物」だという判断もひっくり返るわけですな。
面白い。
 
ちなみに古代日本においては、紀元前7~8世紀頃から製鉄が始まっている、という可能性があります。
それこそ福岡のお隣、大分の国東半島ににその痕跡がある、と言われています。九州大学の先生が分析を行っています。
 
5世紀より千年以上も前ですよ(笑)
つまり偉い先生による「輸入物」という判断は、疑わしいと言わざるを得ません。
なので展示物のプレートには、
 

  • 調査分析の結果「弥生時代中期」の物と特定。
  • 我が国に鉄器製造技術が入ってきたのは5世紀頃である、という説に基づき「輸入物」と推測。

 
と書いて欲しいものです。
 
 
 

古墳の築造年代は掘らなきゃ分からない

博物館の周囲は遺跡だらけです。
まあ、だからこそ「伊都国だろう」と言われているわけですが。……
幸田も博物館に入る直前、近辺の石ヶ崎支石墓、平原遺跡(平原王墓)、ワレ塚古墳を見て回りました。
 
当然、近隣地図にそれぞれの遺跡のプロットが示され、それら1つ1つに例えば「古墳時代中期」といった具合に紹介がなされているわけです。
それらの年代特定は、どうやっているのでしょうか。信頼できるのでしょうか。
 
これについては、幸田もいろいろ調べてみたので答えを知っています。
 

  • 実際に発掘調査を行い、内部の副葬品等を確認出来た古墳に関しては、ある程度信頼できると思われる。
  • 未調査、或いは国史跡の指定を受けたりして調査不能の古墳に関しては、全くの推測に過ぎない。
  • 『古墳編年』という研究があるが、現時点では事実上全く役に立たない。未確立の研究に基づく年代特定は、実質全く信頼できない。

 
 
 

情報の信頼度を知りたい

つまり博物館の展示には、それぞれ、
「この古墳はこれこれこういう理由で、いつ頃の築造と推測している」
という具合に明記して欲しいものです。
内部調査を行っていない古墳については、その旨明記して欲しいものです。
 
「幸田は何を言ってるんだ!?」
と思われるかもしれません。
要するに、情報の信頼度を知りたいわけです。
 
こちらはわざわざ博物館に足を運んでいるのに、情報の信頼度を計る材料が提示されていないのは、不親切と言うより他ありません。
私達来訪者が、家に戻った後に改めて詳細情報を漁るようでは、何のために足を運んだのかわかりません。