伊都国歴史博物館に行ってきました - 後編
2019/02/01魏志倭人伝の謎が解けた!!

前編より続きます。
展示物を眺めていると、いろいろと疑問が湧きます。
例えば様々な、鉄器の出土品が並んでいました。
「○○遺跡で出土。弥生時代中期」
などと、プレートに書かれています。
- 弥生時代中期というのは、どのように判断しているのだろうか? 推定なのか、それとも何らかの調査の結果なのか?
- 場所が九州北部だけに、国産なのか輸入物なのかが気になる。
というわけです。
年配のスタッフの方がおられたので、これ幸いとばかり、根掘り葉掘り(笑)うかがいました。
その鉄器は国産? 輸入物?
まず、鉄器出土品に関しては、調査の結果「弥生時代中期」といった具合に時期を判断しているそうです。
同じ場所同じ層から出土した品々を、C14測定にかけ年代を特定している、と。……
なるほど。まあそれなら信頼できます。
では、国産なのか輸入物なのかと問うと、意外な答えが返って来ました。
「ここ(博物館)の偉い先生は、我が国に鉄器製造技術が入ってきたのは5世紀頃だ、という説を唱えています。この鉄器は弥生時代中期ですから、それよりずっと前ということで、必然的に『輸入物』であると考えています」
だそうです。
ほう。……
つまり一学説に基づく「推測」に過ぎない
では、鉄器製造技術が実際はもっと早くから確立していたとすれば、「輸入物」だという判断もひっくり返るわけですな。
面白い。
ちなみに古代日本においては、紀元前7~8世紀頃から製鉄が始まっている、という可能性があります。
それこそ福岡のお隣、大分の国東半島にその痕跡がある、と言われています。九州大学の先生が分析を行っています。
5世紀より千年以上も前ですよ(笑)
つまり偉い先生による「輸入物」という判断は、疑わしいと言わざるを得ません。
なので展示物のプレートには、
- 調査分析の結果「弥生時代中期」の物と特定。
- 我が国に鉄器製造技術が入ってきたのは5世紀頃である、という説に基づき「輸入物」と推測。
と書いて欲しいものです。
古墳の築造年代は掘らなきゃ分からない
博物館の周囲は遺跡だらけです。
まあ、だからこそ「伊都国だろう」と言われているわけですが。……
幸田も博物館に入る直前、近辺の石ヶ崎支石墓、平原遺跡(平原王墓)、ワレ塚古墳を見て回りました。
当然、近隣地図にそれぞれの遺跡のプロットが示され、それら1つ1つに例えば「古墳時代中期」といった具合に紹介がなされているわけです。
それらの年代特定は、どうやっているのでしょうか。信頼できるのでしょうか。
これについては、幸田もいろいろ調べてみたので答えを知っています。
- 実際に発掘調査を行い、内部の副葬品等を確認出来た古墳に関しては、ある程度信頼できると思われる。
- 未調査、或いは国史跡の指定を受けたりして調査不能の古墳に関しては、全くの推測に過ぎない。
- 『古墳編年』という研究があるが、現時点では事実上全く役に立たない。未確立の研究に基づく年代推定は、実質全く信頼できない。
情報の信頼度を知りたい
つまり博物館の展示には、それぞれ、
「この古墳はこれこれこういう理由で、いつ頃の築造と推測している」
という具合に明記して欲しいものです。
内部調査を行っていない古墳については、その旨明記して欲しいものです。
「幸田は何を言ってるんだ!?」
と思われるかもしれません。
要するに、情報の信頼度を知りたいわけです。
こちらはわざわざ博物館に足を運んでいるのに、情報の信頼度を計る材料が提示されていないのは、不親切と言うより他ありません。
私達来訪者が、家に戻った後に改めて詳細情報を漁るようでは、何のために足を運んだのかわかりません。
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今年のゴールデンウィーク後半は熱を出して寝込んでいました。そこで急に邪馬台国のことが何故か頭に浮かんで(30年ぶりくらい?)、ベッドでタブレット端末片手に少し勉強しました。その時こちらのブログも拝見しました。
私も邪馬台国は宮崎だろうと思います。伊都国は吉野ヶ里遺跡、奴国は久留米(あるいは八女)付近、不弥国は鳥栖付近だと思います。根拠何てものではないのですが、面白いことに対馬、壱岐、唐津は南東方向への移動となるはずなのに、南への移動となっています。最初の方から方角が何か変なのですね。それでも、そういう地図の見方なのかと思いまして、私は対馬、壱岐、唐津を結ぶ直線が南北方向と一致するように地図を時計回りに少しずらしてみました。すると、唐津からちょうど南東40キロのところに吉野ヶ里遺跡があります。さらにその南東方向には久留米があり、吉野ヶ里遺跡から南東8キロ付近には小さい遺跡があるようです。奴国の端でしょうか。ただ、奴国は人口が多いようなので、八女市の方に広がっていたのかもしれません。また、東方向には鳥栖があり、同じように8キロ付近には遺跡があります。そして、奴国の真南には熊本平野が広がります。邪馬台国への移動も南水行10日陸行1月だけで意味が通じます。ホントに南へ一直線ですから。インターネットで調べたら、八代辺りで上陸した場合、宮崎市まで歩いて150キロくらいになるみたいですね。山の中を歩けばやはり1月はかかりますよね。
とまぁ、ゴールデンウィークに寝込んで成した成果を発表させていただきました。思いつきなので、何か勘違いとかしてたらごめんなさい。失礼しました。
かちやんさん、コメントありがとうございますm(_ _)m
幸田もホント、その通りだと思います。
「陸行1月」というのは、私達はどうしても江戸時代人みたいに1日30km以上歩くことを想像してしまいますけど、孫子の兵法書によると(古代の大陸人は)軍隊でも10km強しか移動しなかったそうで……。
魏朝の高官御一行様なら、馬車も牛車も荷駄車もなく、大荷物を抱えて山道を移動するわけですから、そりゃわずか150kmでもひと月かかるでしょうね。
あと方角に関しては、多少アバウトに考えておくべきかもしれませんね。
現在のように方位磁石なんて、ありませんので。
対馬-壱岐-唐津等は特に海上移動なので、
「南に進路をとっているんだけど、対馬海流に乗って流される分」
も考慮し、実質東南だったという理解で良いのではないかと思います。
ともあれ、謎解きも良いですけどお体を大切にされて下さい。