日本は太古より「連邦国家」である

改めて魏志倭人伝を読み解く ー 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす

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前回より続きます。
 
 
魏志倭人伝をよくよく読みますと。――
魏朝は卑弥呼邪馬台国を、大国と見做している……と読み取れます。
 
魏志倭人伝全体を通して、確かに尊大な『中華思想』にまみれてはいます。ですが魏朝は卑弥呼邪馬台国を『主要な大国』と認識し、対等外交に等しい扱いをしていると判明するのです。
だからこそ、かなりの遠方だというのに卑弥呼邪馬台国までわざわざ使者を送り、膨大な贈り物と併せて『金印紫綬』を贈っています。
 
 
 

『先進的連合国家』『強大国』

近隣諸国に膨大な贈り物をする、というのは中華冊封における慣例ではありますが、しかし金印紫綬を贈るというのは異例中の異例なのです。

ちなみに印綬には、金・銀・銅のランクがあります。また『紫綬』というのは房の色を指しますが、これにもランクがあります。
つまり金印紫綬とは本来、皇帝に近い重臣にのみ与えられる、最高ランクに等しいブツなのです。大陸王朝の近隣蛮族諸国に贈られることは、絶対にありません。蛮族ではなく重要な先進国と見做したからこそ、まさに例外的に金印紫綬を贈るのです。
 
邪馬台国は三世紀当時、朝鮮半島に進出していました。
半島の北半分から大陸にかけて、当時は遼東と呼ばれ公孫氏が支配していましたが、魏がそれを238年に滅ぼしました。
なのでその翌年、卑弥呼邪馬台国は魏朝に使者を送ったわけです。
 
10人ばかしの奴婢とわずかな布……というショボい手土産を携えてやってきた邪馬台国使者に対し、魏の皇帝は破格のもてなしを行っています。加えて邪馬台国の使者らにも、個別に破格の贈り物を行っています。
そして前述のように、卑弥呼邪馬台国本国に直接使者を送り親交を結びました。
 
 
 

『多数の小国による連合体』ではない

つまり卑弥呼邪馬台国を文化的先進国とみなし、かつ対等外交を行うに相応しい強大国と見做している……と読み取れるわけです。
魏朝の使者複数が、その後何度も邪馬台国を訪れていますが、それでもその見方は変っていません。
ちなみにこれは、後世になっても変っていないのです。ですので3世紀当時の日本は、実際に文化的先進国であり、かつ強大国だったのでしょう。
 
ですが、これを現代の歴史学者達は、
「多数の小国による連合体」
などと嘯き、過小評価しているわけです。
アホですか!?(^^;
 
多数の小国による連合体は、どこまでいっても弱小です。
それを大国魏朝が対等に等しい外交相手、と見做したとするには、政治学的視点で考えて無理があります。
学者先生方はそれが分からないのか、もしくは分かっていながらデタラメを唱えているか……のどちらかです。
 
 
 

日本は古来『連邦国家』

記紀――古事記と日本書紀――を読めば明らかなのですが、日本は太古より、
「(小国ではなく)そこそこの規模の国が多数集まった、連邦国家
でした。
単一国ではありません。
だからこそ天皇家は、王室ではなく『皇室』なのです。天皇は『すめらぎ』であり『みかど』なのです。
断じて、王ではないのです。
だから『天皇』の英訳は『Emperor(皇帝)』であり、世界における序列も1位なのです。学者先生方は、それも私達一般市民に教えませんよね。
 
記紀の記述を精読すると、倭国即ち日本は、
「まず複数の大国があって、その後行政の都合上、それらが適宜分割された」
というプロセスを辿っている事が判ります。
 
例えば幸田の住む九州は、まず九州の大半を占める『建日向日豊久士比泥別たけひむかひとよくじひねわけ』が存在しました。ちなみにこれが、神武東征の母体となった大国です。
それが後々、『建(肥後)』『豊(豊前豊後)』『久士(九重?)』……等に分割された、という解釈が成り立ちます。また『日(日向)』は、後年さらに薩摩と大隅に分割されます。
 
つまり大国から小国へ……というプロセスを辿っているのです。
先に弱小国が無数にあって、それらの合体分離が生じた……というプロセスとは概ね真逆です。学者先生方は、
「弱小国が次第に寄り集まって連合体が形成され、それがやがてヤマト王権となった」
というインチキ歴史観を描きますが、これは尽く間違っているのです。
 
 
 

実質的対等外交だった

ですから記紀史観との兼ね合いからも、卑弥呼邪馬台国は、
――複数の大国から成る、立派な連合国家
と認識すべきです。三世紀、日本には既に強大な連合国家政権が存在したのです。
だからこそ「男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈」なんてショボい手土産を携えてやってきた邪馬台国を、魏朝は無視出来ませんでした。むしろ魏朝の方が積極的に、邪馬台国と親交を結ぼうとしたわけです。
 
では我が国の歴史において、卑弥呼邪馬台国をどのように考えるべきなのでしょうか。
 
 
次回へ続きます。