新たな仮説提唱!! 「神武天皇即位紀元」
記紀のカラクリを暴く
まとめます。
- 上古にウガヤ朝数十代580年が存在した。
- ウガヤ朝の後継者神武天皇が東征し、畿内にて即位し大和朝廷がスタートした。
- ところが何らかの事情から、ウガヤ朝の存在を抹消した。
- しかし血統の正当性を明らかにするため、ウガヤフキアエズノ命の名前まで抹消するわけにはいかない。
- そこで記紀編纂者は、ウガヤフキアエズノ命の名は記述し、ウガヤ王朝名だけを抹消。
- ただし古事記には、編纂者の何らかの思惑により『高千穂宮580年』という記述を残した。
そう考えると、辻褄が合うのではないでしょうか。
つまり、
- 天孫(天皇家)による王朝の始期は、あくまで紀元前660年。ウガヤ朝。
- しかしウガヤ朝の名を抹消したため、実際の歴史と約580年のギャップが生じてしまった。
- そのため、神武東征と即位年をこそっと約580年遡らせ、そのギャップを埋めるという細工がなされた。
ということではないでしょうか。
「存在しなかった」と証明するのは非常に難しい
科学の世界において何かを証明しようと思えば、厳格な手続きを要します。
とある事実について、一方が「存在する」と主張し、一方が「存在しない」と主張する場合、立証責任は「存在する」と主張する側に存します。これは科学の世界における「論証のルール」でもあります。
なぜなら「存在する」ことを証明する方が、圧倒的に簡単だからです。
1つでも2つでもその証拠を挙げ、これを相手が否定出来なければ、即ち「それが存在すると証明出来た」ことになります。
その逆は極めて困難です。存在の証拠全てを1つ1つ完全に否定出来た時、はじめて「それは存在しなかった、と証明出来た」ことになります。
存在の根拠となる事柄が無数にある場合、その全てを否定することは事実上不可能です。
論証のルールに従い「古代天皇の存在を否定する」ことは不可能
古代より多くの日本人が、
「神武天皇は存在した」
と信じていました。多くの伝承や伝説があり、遺物らしきモノもあり、それに基づく文書も多数存在します。
それをアカデミズムは、
「いや、神武天皇は存在しなかった」
と曰うのです。
では是非、それを証明して下さい(笑)
歴史学が「科学」を名乗る以上、当然「科学的手続き」に則って証明して下さい。
出来る筈がないんです(^^;
まず記紀の記述の、どれがホントでどれがウソか、確認のしようがありません。
アカデミズムは古史古伝を全否定していますが、これとて証明不十分です。客観的にみて、その全てを無視することはできないでしょう。
各地の伝承等についても、その全てを「作り話に過ぎない」と証明することは不可能です。いやそもそも、アカデミズムによるそれらの調査自体が、不十分だと思われます。
- 年代の記述がウソ臭いから、神武天皇は存在しなかった。
- 古代の天皇家の歴史は、ことごとく捏造だ。
- 皇室の歴史を長く見せるための、インチキだ。
などというアカデミズムの主張は、単なる主観に過ぎません。
歴史学は本来、科学です。しかし科学を名乗る資格がないわけです。なぜなら科学的な論証ルールに従った手続きを、全く踏んでいませんから。いや、そもそもそれは不可能なわけです。不可能である以上、「存在した」と見做すしかないのです。
今日の私達は、科学と嘯くアカデミズムに、かくの如くインチキ歴史観を刷り込まれています。
ウガヤフキアエズ朝については、また稿を改めて詳述します。幸田の仮説が、単なる思いつきでないことを説明したいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません